2010年06月16日

天竺氏姓 情報提供

てんちゃんさんより以下コメント。
遅くなりまして申し訳ありません。

てんちゃんさん6月5日の日記に曰く 
私は讃岐國(香川県)天竺姓を名乗っています、明治の名字を許された時からの方も居られますが・・・

1、天保年間の戸籍資料がある

2、先祖がどうやら難を逃れて来たのかその土地の大庄屋の家紋を使っているその方は清和源氏系の佐藤氏です

3、系図が皆無(先祖が誰かに売ったかもしくは系図そのものを消却せざるを得なかったのか?・あちこちの近在近所の寺を当たったものの過去帳は曾祖父の両親しか辿れない(私見ながら戦乱から難を逃れた後、身分を悟られぬよう神官をしていたのではないか?土佐での天竺氏は神職の宮地氏と深い繋がりがありますよね)

4、祖父からの言い伝えによると、江戸末期には郷士をしていて(まあまあ百姓の中では裕福だったらしい)明治期勝手に小作人達が佐藤姓・天竺姓を名乗り始めたので困り果てていたらしい。
最近ブログを見ている方は?(はてな)とお思いでしょうから少し解説。

以前(調べてみたら04年10月)、大津で天竺城というのを見つけ、ネットで検索したのが事の発端。

天竺氏を解説している掲示板に、天竺城落城の際の名簿に依光氏を発見。そこから徳永さんと知り合って、東京の良馨先生と繋がって、そこから良馨先生つながりで、寮歌祭というのをやっている方と知り合って(ブログ休止中の時期)とご縁が広がったのでした。

お暇な方は、ブログの依光氏参照。

さて前置きが長くなりました。

うちも依光氏について、お寺などに問い合わせたのですが、明治時代までは何とか分かっても、江戸時代は難しいですね。

家紋について書かれていますが、家紋は姓ほど世間の目が厳しくなかったようで(滅びた一族は、姓を変えることが多かったようだ)、天竺氏と同じ紋であれば、同族といってよいのではと思います。

うちはそもそも瓦屋創業の初代が養子なので、戦国時代頃スタートした依光氏とのつながりはよく分かりません。

まあ、石を投げれば依光さんに当たるくらい幅を利かせた一族なので、全く関係ないと証明するほうが難しいのではと思い、養子とはいえ親戚だろうと思っています。

良馨先生の家系は系図があって、天竺氏から依光氏へ改姓とあります。
土佐名家系譜では、川窪氏から依光氏へ改姓。
いまだによく分かりません。

てんちゃんさんとも、ご先祖が親戚かもしれませんね。

さて、最近ではポスト龍馬伝の話題が出ますが、その流れで大河ドラマに長宗我部元親をという話があります。

大河ドラマの要望ランキングでも、いいところにいるそうです。
(と思って検索したけど出てこない・・・。ウィキペディアの長宗我部元親で、人物・逸話欄に
NHK「BS熱中夜話」で、戦国武将の回で行われた「大河ドラマで主役をやってほしい戦国武将」と題したアンケートで第1位に選ばれた。
というのがあったのみ。

もし実現したら、天竺城や山田城はどう描かれるでしょう?
国親(お父さん)に攻め滅ぼされたので、まあ本題とは関係ないのでしょうね(涙)

依光氏の場合は、したたかに、長宗我部、山内と主筋を変えているので、ちょい役ででもご先祖が出演してくれたら嬉しいなあ。

また新たな情報があれば、ブログにアップしたいと思います。

今後ともよろしくお願いいたします♪


posted by 依光晃一郎 at 23:11 | 高知 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 土佐依光氏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月25日

楠目 依光家先祖祭り



先祖祭りということで、朝掃除に行く。



先祖宮は、山田氏の居城、楠目城跡にある。



旗は、文久3年となっていて、若宮八幡宮とある。
幕末にこの場所に移ってきたのかな?

若宮八幡宮と言うのは長浜にあって、長曽我部元親の銅像が建っている。

山田だから八王子の旗がたっているのが自然なのにと不思議に思う。
長曽我部氏と特別のゆかりがあるのかもと想像。





来年は、うちの家が当番なので、お供えの中身を記録。
山のものと海のもの。

夕方は、今年当番のお家でおきゃく。
20人弱。
平均年齢70歳。

みんな依光さん。
(あたりまえか・・・)

昔は20家くらいでまわしていたらしいけど、今は10数家でまわしているそうだ。

こういう集まりは残すべきだと思う。

(2007.10.29アップ)

posted by 依光晃一郎 at 00:00 | 高知 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 土佐依光氏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月16日