昭和54年新聞記事 地場産業 商店街活性化
先日、屋根の葺き替え工事の際、屋根裏から出てきた高知新聞。
昔の新聞には、興味が湧くので、見つけるとよく目を通す。
今回見つけた新聞は、特にご紹介したいので、面倒だけどアップ。
(自画自賛)

昭和54年1月24日夕刊
地場造船の大手・高知県造船のリストラに関する記事。
希望退職を募ったが、会社側の意向に反して、応募者が少ないという内容。
「一昨年九月に倒産した今井造船」、「昨年二月に倒産した新山本造船」という記述があり、最後に、
造船が、昔の高知の一大産業であったことは、最近まで知らなかった。
ある人が、昔関東の港に行った時に、そこにつながれている漁船のほとんどは高知製であったと言っていた。
上記記事は、約30年前のものなので、40年位前にピークであったのだろうか。
現在その名残をとどめている企業で、自分がぱっと思いつくのは、SKKと釜原鋳鋼所。
SKK(旧 四国建機株式会社)
船舶に搭載する海上クレーンの設計・製造を主体。
国内トップシェア。
http://www.joho-kochi.or.jp/skk/
釜原鋳鋼所
船舶・産業機械用鋳鋼品製造販売。
結局「建造船救済策を議論」ということから、具体的な成果は上げられなかったと感じる。
現在では、土建関係の企業がばたばた倒産している。
07年5月 香長建設(負債・2006年6月期末時点で約44億5700万円)
07年5月 四国土建(負債・現時点では約40億円の見込み)
高知の土建関係は、災害復旧などの独自技術を持つ企業も多く、なんとか高知の産業として、残ってもらいたいと思う。

同日高知新聞朝刊
こちらも気になる部分を引用。
商店街が寂れるということに関しては、30年くらい前から、地域課題として指摘されていることが分かる。
上記記事の「安芸市商店街」を高知市の帯屋町商店街と書き換えたとする。それから奪われた先をイオン高知ショッピングセンターに。
現在の記事として十分成立するという意味で、こちらの地域課題も未だ答えがない。
余談だけどこの松本さんというのは、現安芸市長で、うちの親父の同級生(高知学園)でもある。
優れた人材として、当時から有名であったというのであればいいが、高知の人材不足かもと思ってしまう。親父の同級生というのも含め、ちょっと出来過ぎ。
それから、記事では安芸にある官公庁の給料日には、高知市など市外の業者が色々な商品を売りに来ることを紹介。
高知の商売人は、今より儲けてやろうという意欲が小さいと言われる。
(自分自身もそうなのだけど)
これ以上一生懸命働いて儲けるよりも、今ある金で、ちくと一杯飲もうやいか。
一人の人間としては、明らかに魅力的だと思う。
ただ、高知県全体がそうなると、やはり県外資本の餌食となる。
(売り上げ減少・商売縮小→廃業→失業→県外移住。伝統文化消滅)
サンモールは、残念ながら、売り上げ低迷から2004年3月に閉鎖される。
高知県からの貸付もあり、焦げ付きをどうするかということで、マスコミにも連日取り上げられていた。
参考 知事記者会見 平成16年1月22日
http://www.pref.kochi.jp/~hisho/chiji/kaiken-16_1_22.html
上記が消えていた場合はこちら(ウェブ魚拓利用)
その後、県外資本でリニューアル。
高知新聞朝刊 2006年11月22日
「すまいるあき全店オープン 県東部の商業拠点再出発」
http://www.kochinews.co.jp/0611/061122evening01.htm
上記が消えていた場合はこちら(ウェブ魚拓利用)
地域の商店街活性化というのは、本当に難しい。
「これまで会を開いても適当に話を打ち切り、あとは飲み会だったのが・・・」
という文章があるが、これも高知県人の悪い癖で、未だにこういう状況が大半ではないかと思う。
最後に商工会議所会頭・春野氏(菊水酒造社長)の言葉が紹介されている。
この文章も、今でも十分成立すると思う。
「高知市へ走る客」ではなく「松山or高松or神戸or大阪へ」なのだけど。
(2007.07.29アップ)
昔の新聞には、興味が湧くので、見つけるとよく目を通す。
今回見つけた新聞は、特にご紹介したいので、面倒だけどアップ。
(自画自賛)

昭和54年1月24日夕刊
地場造船の大手・高知県造船のリストラに関する記事。
希望退職を募ったが、会社側の意向に反して、応募者が少ないという内容。
「一昨年九月に倒産した今井造船」、「昨年二月に倒産した新山本造船」という記述があり、最後に、
しかし、このままだとまた一つ、有力地場産業の灯が消えかねない。造船設備廃棄問題なども絡まり合って事態は複雑かつ困難だが、産業、金融、行政一丸となって建造船救済策を議論してほしいものだ。と結ばれている。
造船が、昔の高知の一大産業であったことは、最近まで知らなかった。
ある人が、昔関東の港に行った時に、そこにつながれている漁船のほとんどは高知製であったと言っていた。
上記記事は、約30年前のものなので、40年位前にピークであったのだろうか。
現在その名残をとどめている企業で、自分がぱっと思いつくのは、SKKと釜原鋳鋼所。
SKK(旧 四国建機株式会社)
船舶に搭載する海上クレーンの設計・製造を主体。
国内トップシェア。
http://www.joho-kochi.or.jp/skk/
釜原鋳鋼所
船舶・産業機械用鋳鋼品製造販売。
結局「建造船救済策を議論」ということから、具体的な成果は上げられなかったと感じる。
現在では、土建関係の企業がばたばた倒産している。
07年5月 香長建設(負債・2006年6月期末時点で約44億5700万円)
07年5月 四国土建(負債・現時点では約40億円の見込み)
高知の土建関係は、災害復旧などの独自技術を持つ企業も多く、なんとか高知の産業として、残ってもらいたいと思う。

同日高知新聞朝刊
こちらも気になる部分を引用。
安芸は商業の街である。正確に言うと、街であった。旧国道沿いの本町筋に二百軒もの商店がズラリと並び、東部の商都として栄えた。ひと昔前なら県東部で、ちょっと気のきいた品物を買いに行く、と言えば安芸へ行くことを指したものである。
しかし、今や素通り。周辺の客足は完全に高知市に奪われた格好だ。「商都は"消都"となった」と嘆く人もいる。嘆くばかりでは始まらない。原因は-。
「マイカーの発達、道路の整備など外的な要因が大きいことは確か。でも、問題はその時代の流れに対応して"攻め"の商売をしなかったことではないでしょうか」。
こう指摘するのは市企画財政課の松本憲治さん。
商店街が寂れるということに関しては、30年くらい前から、地域課題として指摘されていることが分かる。
上記記事の「安芸市商店街」を高知市の帯屋町商店街と書き換えたとする。それから奪われた先をイオン高知ショッピングセンターに。
現在の記事として十分成立するという意味で、こちらの地域課題も未だ答えがない。
余談だけどこの松本さんというのは、現安芸市長で、うちの親父の同級生(高知学園)でもある。
優れた人材として、当時から有名であったというのであればいいが、高知の人材不足かもと思ってしまう。親父の同級生というのも含め、ちょっと出来過ぎ。
それから、記事では安芸にある官公庁の給料日には、高知市など市外の業者が色々な商品を売りに来ることを紹介。
ほとんどの商店は店で座り、来る客だけに売る。安芸の商人は"あきんど"ではなく、"商品流通業者"だという人もいる。買いに来た客に右から左へ商品を渡すだけという意味だ。その裏には、それだけでも生活に困らないだけの"豊かさ"がこの街にはあり、そしてその豊かさの上にあぐらをかいてきたことが現在のジリ貧を招いたようにも見える。
高知の商売人は、今より儲けてやろうという意欲が小さいと言われる。
(自分自身もそうなのだけど)
これ以上一生懸命働いて儲けるよりも、今ある金で、ちくと一杯飲もうやいか。
一人の人間としては、明らかに魅力的だと思う。
ただ、高知県全体がそうなると、やはり県外資本の餌食となる。
(売り上げ減少・商売縮小→廃業→失業→県外移住。伝統文化消滅)
もっともここ数年、この状態を脱しようという機運が出てきたのも事実だ。引き金になったのは共同店舗「サンモール」。「すぐつぶれる」という陰口をよそに、まずまずの実績を上げてきた。高知市に客を取られ、さらに共同店舗にも、とダブルパンチをくらって旧商店街はやっと重い腰を上げ始めたのである。
元町商店街がアーケードを計画すれば、本町振興会もこれまで会を開いても適当に話を打ち切り、あとは飲み会だったのが、さいきんでは「どう改革するか。資金のメドは」と真剣な討議になっているという。
サンモールは、残念ながら、売り上げ低迷から2004年3月に閉鎖される。
高知県からの貸付もあり、焦げ付きをどうするかということで、マスコミにも連日取り上げられていた。
参考 知事記者会見 平成16年1月22日
http://www.pref.kochi.jp/~hisho/chiji/kaiken-16_1_22.html
上記が消えていた場合はこちら(ウェブ魚拓利用)
その後、県外資本でリニューアル。
安芸市久世町の旧サンモールをリニューアルした複合型商業施設「Smile Aki」(すまいるあき)が22日、全テナントの営業をスタート。食品スーパーや県内最大級の書店などを備えた県東部の拠点商業施設として動き始めた。
「すまいるあき」は旧サンモールの土地建物を「AKI」=エーケイアイ(神戸市、井上隆雄社長)が3億4000万円で購入しリニューアル。9月に1階のドラッグストアとフードコートが先行オープンし、書店や飲食店など11店舗が残っていた。
高知新聞朝刊 2006年11月22日
「すまいるあき全店オープン 県東部の商業拠点再出発」
http://www.kochinews.co.jp/0611/061122evening01.htm
上記が消えていた場合はこちら(ウェブ魚拓利用)
地域の商店街活性化というのは、本当に難しい。
「これまで会を開いても適当に話を打ち切り、あとは飲み会だったのが・・・」
という文章があるが、これも高知県人の悪い癖で、未だにこういう状況が大半ではないかと思う。
最後に商工会議所会頭・春野氏(菊水酒造社長)の言葉が紹介されている。
これからは商品を並べるだけではだめですね。駐車場があり、緑の広場があり、家族連れで買い物が楽しめるようにしないと。サンモールのようなものをもう一つつくり、旧商店街とも有機的に結びつく形を作ることも必要でしょう。アカ抜けしたセンスのあるショッピングタウンをどうつくるか。これができれば高知市へ走る客の足を止めることができます」。
この文章も、今でも十分成立すると思う。
「高知市へ走る客」ではなく「松山or高松or神戸or大阪へ」なのだけど。
(2007.07.29アップ)
この記事へのコメント