尾崎県政12年間について 令和元年9月定例会(一問一答)
○議長(桑名龍吾君) 休憩前に引き続き会議を開きます。
一問一答による議案に対する質疑並びに一般質問を続行いたします。
依光晃一郎君の持ち時間は50分です。
16番依光晃一郎君。
◆16番(依光晃一郎君)
尾崎県政最後の質問者ということになりました。23番目の登壇ということで、普通に質問をしては屋上屋を重ねてしまうと思います。そこで、お許しをいただきまして、未来の高知県民や研究者が尾崎県政を理解するために役立つ質問をという意図を持って、質問をさせていただきたいと思います。
1 知事の「対話」に対する思いについて
未来の高知県民や研究者にとって、尾崎県政は成果を上げた県政という評価になると思いますが、実は政策的な岐路があり、失敗を恐れ無難な道を選んでいれば、令和元年の高知県は今とは違ったみじめな高知県であった可能性さえあったということが明らかになればと思います。また、正しい選択肢を選び取ったという意思決定プロセスも未来の県政に受け継いでいただきたいとも思います。知事、副知事を中心に質問させていただきますが、後世の研究者にとっては、御答弁が一級資料になりますし、また教育委員会の歴史副読本にもエピソードが採用されるかもしれませんので、しっかりと御答弁をよろしくお願いいたします。
まず最初に、尾崎県政が誕生した平成19年冬の高知県の状況を思い出してみたいと思います。橋本大二郎知事の最後の4期目4年間は、県議会での辞職勧告決議議案可決、出直し選挙が初年度にあり、議会も県民も選挙を通じて分断された不安定な状態であったと思います。また、橋本県政4期目は平成15年冬からのスタートで、大企業、製造業を中心とした日本の景気回復が19年まで続いていく時期と一致していながら、その恩恵を受けることができなかったという、景気回復の流れから取り残された4年間でもありました。不出馬を表明した橋本知事は、後継候補を出すという動きもありましたが、結局不調に終わり、次の高知県のかじ取り役はどうなるのだろうと県民の心配が高まる中で、尾崎知事が名乗りを上げ、圧倒的な県民の支持を得て高知県知事に就任されます。
この質問をつくりながら、そういえば尾崎知事は1回目の選挙で何を訴えていたのかと思い、当時のリーフレットを見返してみました。そこにはおなじみの対話と実行という文字とともに、力を合わせて高知に活力をという言葉がありました。力を合わせてというフレーズは、選挙を通じて分断されていた高知県にとって、県民の希望になったのではないかと思います。
また、尾崎県政最初の12月県議会、初登壇のときにこういう発言もありました。「県勢は下向きにあると言われていますが、私は決して悲観をしておりません。なぜなら、高知には豊かな自然を初め歴史や文化、そしてすばらしい人々とすばらしい資源がたくさんあるからであります。高知の強みを伸ばしていくことで、この4年間を、県勢を上向きに転じる輝かしい期間にしたいと思います。そして、そのために積極的な対話を通じて人と人、民間と行政、地域と地域などのつながりを築くことで人々の力を結集して、活力あふれる高知を目指してまいります」というものでした。私は、積極的な対話、人々の力を結集という言葉はとても重いものだと感じます。
まず最初に、尾崎県政のキーワードである対話と実行の対話、特に人々の力を結集してという初登壇時に述べられた思いについて知事にお聞きをいたします。
◎知事(尾崎正直君)
私は、12月に就任させていただいたとき、12年前でありましたけれども、そのとき正直申し上げて強烈な危機感を持っておりました。さまざまな県勢指標を見ましたときに、高知県が全国最下位レベルと言うにとどまらないものがある、要するに全国は上向いていても高知だけはついていけていない、もっと言いますと、四国の他県は上向いていても高知だけはついていけていないというものが多々あったという状況でありました。これだけ厳しい状況ということであれば本当に力を合わせて、みんなの力を結集して対応していくことが必要なのだろうと、そのように思わさせていただいたところであります。
そういう意味において、国政の与党、野党を超えて、国政野党の皆様方にも一緒に力を合わせていただいて、本当に心から感謝を申し上げているところであります。また、あわせまして、市町村政との連携・協調という点においても力を合わせていただきたい、そのことをお願いして、その実現もいただき、また多くの県民の皆様方にも大変お力を賜りました。
このように、力を結集する、そのためにもまず大事なことは対話をすることだ、そういうことで対話と実行、力を合わせて高知に活力をということを当時のキャッチフレーズにさせていただいたところでありました。ある意味、危機感の裏返しであったと、そのようにも思わさせていただいておりますし、また力を合わさせていただくということについて、本当に多くの皆様の御協力をいただいたことに感謝を申し上げたいと、そのように思います。
2 産業振興計画について
(1) 産業振興計画策定前後の状況について
◆16番(依光晃一郎君)
次に、対話を通じて県民の知恵を集め、人々の力を結集してつくり上げた産業振興計画についてお聞きをいたします。
産業振興計画はバージョンアップを繰り返し、今年度で第3期ver.4となっております。先月17日にフォローアップ委員会を傍聴させていただきましたが、順調に進化を続けていると感じました。この産業振興計画は、知事就任後すぐに動き出します。知事就任から2回目の議会である平成20年2月議会で、産業振興計画を策定するため担当の副部長やワーキンググループを新たに設け、地域の方々や地域支援企画員、出先機関の職員との連携を強化するほか、ブランド化戦略を部局横断的に検討するため庁内の連携体制と事務局体制の充実を図りますと述べられ、スピード感を持って県庁を尾崎流の組織に変えていきます。年度がかわり、平成20年4月には総務省から恩田馨部長が着任し、6月から受田浩之高知大学副学長を委員長とした産業振興計画の検討委員会がスタートします。この平成20年は激動の年となったのではと思います。
ネットで産業振興計画検討委員会と検索していただけば、第1回の会議の概要を今でも見ることができるのですが、各委員が本気で議論をしております。特に、数値目標についてどう取り扱うかという議論は、高知を何とかせねばという委員の熱意が伝わってきました。
また、当時の政策推進課がつくった産業振興計画の策定についてという資料も公開されているのですが、次の記述があり驚きました。それは、「数値目標を設け、PDCAを行い得るものとする。その際、生産額や雇用といった指標のほか、地域の良さをアピールできる指標も併せて検討する。」というものです。民間だけではなく、取りまとめをする高知県庁にも、数値目標とPDCAサイクルについての意識が最初からあったことがわかります。この数値目標の設定とPDCAサイクルの導入は尾崎県政の大きな特色ですが、県庁という大きな組織で導入する際には、大変なアレルギーがあったのではと想像します。
数年前、当時の総務部長であった恩田さんにお聞きをしたのですが、産業振興計画策定時期には幹部職員のストレスも大きくて、現在の形での産業振興計画ではなく、妥協をした、もっとレベルの低い計画になった可能性もあったということでした。私は、産業振興計画というのはスムーズにでき上がり成果を上げたという評価ではなくて、当時の県庁職員の皆さんによる産みの苦しみがあったということをしっかりと残しておくことが、今後の高知県政にとって、また未来の県庁職員にとっても有益だと信じています。
そこで、産業振興計画検討委員会の時期に総務部副部長で、初代産業振興推進部長であった岩城副知事に、産業振興計画の産みの苦しみなど、策定前後の状況についてお聞きをいたします。
◎副知事(岩城孝章君)
知事が就任して、平成20年度に産業振興計画を実際につくり上げていく時期には、私は総務部副部長ということで、そのときは企画振興部が各産業部局を集めて計画の策定をしておりました。総務部副部長はちょっとそれを傍観するという立場にありまして、産みの苦しみについては正直詳細なことはわかっておりません。ただ、大変な作業をしているということだけはわかりましたし、こうした難しい仕事を誰が実行していくんだろうかというような思いで見ておりました。
ただ、産業振興推進部で仕事をするようになって、その後いろいろ勉強させていただいたとき、その当時、産業振興計画を策定する以前は、やはり各産業分野それぞれにビジョンや計画はございましたが、その目指す方向や目標年次も全くばらばらといったような状況でございました。
産業振興計画の策定に当たりましては、こうした全くばらばらの状況を同じベクトルのもとに一つの計画として、しかも関係団体の御意見を聞きながら短い時間で策定する必要があり、今振り返れば、これまでの県庁の仕事の中でも最も難しい仕事の一つであったのではないかというふうに思っております。
また、計画のスタート後は、計画をよりよいものにするとともに、大きな成果を上げるためにインプットだけではなくアウトプットやアウトカムにこだわり、部局間の連携の徹底やPDCAサイクルによる取り組み状況の点検、検証を四半期ごとに実施するなど、それまでと仕事の仕方が大きく変わり、戸惑う職員も多かったんではないかと思いますが、知事のリーダーシップのもと、職員も日々成長してきました。
もう一つ、大変ありがたいのは、知事の初めての政策、看板政策ということで、県議会議員の皆さん方、関係企業の皆さん方、また多くの県民の皆さん方に大変いろんな形での御助言とかをいただきました。そのことがPDCAサイクルを回していく上でいろんな形でそういうことを参考にして取り組んだ結果、現在産業振興計画の成長につながっているんではないかというふうに思っております。
◆16番(依光晃一郎君)
ありがとうございました。先ほどお聞きしただけでも相当の業務量があって、また仕事のやり方が変わっていくということで、民間であっても数値目標というのは怖いものであって、なかなか大変だったろうなというふうに思います。
(2) 産業振興計画策定を支えた県庁職員のスキルについて
さて、このような状況の中で産業振興計画が策定できたというのは、私は高知県庁の職員の能力が極めてすぐれていたからだという仮説を立てております。先ほども述べましたように、数値目標の設定やPDCAサイクルというのは、民間企業であれば当たり前ですが、単年度予算で動く行政ではアレルギーが強いのではと思っております。県庁として、スタート時から数値目標の設定とPDCAサイクルの導入を決めていたことに関して、改めて敬意を表したいと思います。
このPDCAサイクルですが、高知県庁でいつから使われるようになったかと疑問が湧き、高知県議会の会議録検索システムを使って調べてみました。私の想像では、産業振興計画が策定された後にPDCAサイクルが使われるようになったのだろうと想像して検索したのですが、結果は意外なものでした。初めての登場は平成17年12月定例会で、高知県行政改革プランにかかわることで登場します。つまりPDCAサイクルという概念は、尾崎県政以前の橋本県政時代から使われていたのです。
また、総務部の中に業務改革推進室という部署があり、橋本県政で行われていた県庁職員の定数削減、民間への県庁業務のアウトソーシングなどの業務を通じて、PDCAサイクルや数値目標の設定ということに対しての意識が醸成されていたのだと推測いたします。つまり、尾崎知事のリーダーシップを実現できるスキルが県庁職員にあったからこそ、産業振興計画がスムーズに実行に移せたという仮説です。
産業振興計画策定時において、県庁職員にPDCAサイクルや数値目標に対しての理解と能力があったからこそ、困難を乗り越えて産業振興計画がスタートできたという私の仮説についてどうか、尾崎県政誕生時の平成19年に業務改革推進室長であった岩城副知事にお聞きをいたします。
◎副知事(岩城孝章君)
行政改革プランで平成17年12月、議員がおっしゃられるようにPDCAサイクルという言葉がございました。その当時、この行政改革プランのまさしく実行部隊であった業務改革推進室長という立場で、職員の削減であるとか、あるいは事務システム、総務事務システムを手がけておりました。
ただ、こういう言葉はございましたけれど、私自身これをしっかり回していくというような意識は、申しわけないですけれど、そのときはございませんでした。私だけかと思って、ちょっとその当時一緒に仕事をした吉村観光振興部長、鎌倉健康政策部長に確認しましても、2人ともそういう意識はなかったということでございます。言葉としては認識はしておりました。
加えて、現議長の桑名議員から平成19年6月議会で、PDCAサイクル、アクションプランではあるけれど、PとDはやっているけれど、CとAは全くやっていないじゃないかという御指摘がありました。PDCAサイクルに関しては、その当時はそういうような状況で、やはり産業振興計画が始まって以降、職員にそれが浸透していったということだというふうに思っております。
◆16番(依光晃一郎君)
私の仮説は間違っておったということでしょうが、議会で桑名議長の指摘があったというように、議会側はしっかり議論しておったということがわかりました。けれど、私はそれでも能力はあったんだろうと思っております。
(3) 産業振興計画策定時の苦労について
次に、産業振興計画検討委員会での御苦労についてもお聞きをしていきます。このことについては、検討委員会の委員長をお務めになり、その後のフォローアップ委員会でも委員長をお務めの高知大学副学長、受田浩之教授にお聞きをしました。受田先生によると、第1回の検討委員会が特に印象的とのことでした。なぜかというと、当時の高知県工業会の会長、技研製作所の北村社長が、産業振興計画策定について真っ向から反論したからだそうです。
そこで、ホームページにあった第1回高知県産業振興計画検討委員会の概要という資料を読んでみると、D委員として登場する北村社長が、歴代の知事も産業振興についての計画をつくってきたが結局成果は出ていないではないかという意見を述べられています。また、資料に詳細は載っていませんが、受田先生の記憶によると、北村社長から、新しくつくろうとしている計画も結局は成果が出ないだろう、むしろその分の予算を技研製作所を含む地場企業に投資をしてくれたなら、県が目指す製造品出荷額の目標を達成してみせるというような発言があったようです。私の想像ですが、当時の高知県工業会所属の企業は補助金などの支援が届きにくく、歴代県政への不信感があり、加えて高知県民特有のお上を嫌ういごっそう気質から、けんか腰の意見となったのではと思います。
また、橋本県政においても、高知県産業振興センターを中心に地場産業支援はやっていたと思いますが、技研製作所のような企業への支援は手薄で、県の優先順位は企業誘致など県外企業に向かっていたのかもしれません。橋本県政の製造品出荷額ピークは平成7年の7,055億円で、13年後の平成20年の時期においては、まだ一発逆転で大企業の誘致を実現させたいという成功体験を引きずった思考だったのではと想像します。ちなみに、平成7年は三菱電機高知工場1社だけで958億円を占めていました。
念のため、北村社長についてフォローをさせていただくと、技研製作所の平成30年8月期決算の売り上げは、291億4,000万円ということでした。先ほど述べたエピソードの時期である平成20年決算の売り上げが127億5,000万円ですので、高知県の製造品出荷額にも大きく貢献しているということで、当時の発言は自信の裏返しであったのだと思います。また、数年前から高知県は防災産業の育成に力を入れていますが、東日本大震災後の高知県の販売支援は技研製作所の売り上げに貢献し、社長の県政への意識も変わったことと思います。
前置きが長くなりましたが、産業振興計画検討委員会での御苦労という話に戻ります。北村社長が述べられていたように、歴代知事の産業振興についての総合計画づくりが失敗し続け、また高知県民のいごっそう気質は全県的な総合計画に不向きであるにもかかわらず、オール高知の総合計画を策定できたことは、高知県政始まって以来の奇跡的な快挙であると感じます。
この高知県工業会会長とのバトルのようなことが検討委員会の時期には幾つかあったと思いますが、このときの苦労を振り返ってどう感じておられるか、知事にお聞きをいたします。
◎知事(尾崎正直君)
確かに、産業振興計画をつくっておるとき、さらにつくっても一、二年ぐらいの間というのは、一言で言うと、さんにかけてもらっていなかった、だから大変苦労しました。フォローアップの策定委員会で議論をさせていただくときもしくは県民の皆様とも話をしていて一番苦労したのは、多くの方から、どうせ絵に描いた餅だろうと、つくって終わりの産振計画、それならつくらないほうがいいんじゃないかとか、そういう御意見というのはたくさんいただいたところでありました。なので、そうではないと、つくって本当に実行しますということを言うために、当時の産業振興計画のキャッチフレーズは、当たり前のことなんですけれど、本気で実行でありました。それをいつも言っていました。そういう形で何とか信じていただこうと苦労したことを覚えております。
もう一点は、地産外商、これは無理だろうと、そういう御意見もたくさんありました。もっと言いますと、昨日も申し上げたかと思いますけれども、東京から帰ってきたばかりで偉そうなことを言うなと、東京に売り込みに行こうとしてもそれができないから、なかなか地産外商なんていうのは進まないんじゃないかと、そういう御意見もたくさんいただきました。そういう意味において、この地産外商困難論というのもたくさんお話をいただいたところです。
ただ、そうやって、北村社長もそうですけれども、厳しく言っていただく方、厳しく批判していただいた方こそ、後々いろんな形でアドバイスをいただきました。地産外商の地に産するものを生かすべきだという思想を徹底して、いろんな具体論も含めて御教授いただいたのが北村社長でもありましたし、先ほど言った地産外商は無理だ、もっと言うと絵に描いた餅論、そんなことを言われた方に限って多くのお知恵をいただいた、本当に感謝を申し上げたいと思います。
ただ、もう一個ありまして、第1回目のフォローアップ委員会でも議論した点でありましたけれども、実は若干アプローチの仕方に違いがあって、そこの議論というのは非常に大きかったと思っています。実は、ゴールを設けて数値目標を一定設けるということについては、昔からある程度はやっていたと思います。ただ、問題はその数値目標を設けても、それを実現するための具体の手法がない、政策がない、そういう場合が非常に多かったと、私には思えました。ですから、個々個別の課題についてしっかり分析をして、何を解決していくべきなのか、川上においてどうか、川中においてどうか、川下においてどうか、それをまずしっかり分析することから始めるべきだと、私は当時盛んに言わせていただいていました。
ですから、一個一個、個別の分析への対策みたいになっていって、どちらかというと支流はあるが本流がないとかとよく言われたり、そういう御批判も受けたりしたものでありました。ただ、やはりまずその個々個別の分析というところから始めないと、実際に大きな目標を立てても、その目標達成のための具体の手段というのが浮かび上がってこないのではないか、そう考えて、地味なことではありましたけれども、個々個別の各ポイントについての分析をしてもらったということでありました。
そういう手法に対して、そうではなくて大きな目標を先に掲げていくべきではないかという御議論も結構あったりしまして、そのとおりなんですけれど、ただそうなるための前段として個々の分析をやらせてほしいということを盛んに当時申し上げていたところであります。最終的に個々の分析に基づいた大きな数値目標を掲げられるようになったのは第2期産振計画からでありまして、それから明確にマクロの目標、アウトカム目標というのを定めています。それまでは多分アウトプット目標までだったと、そういうふうに思っております。
◆16番(依光晃一郎君)
本当に真剣に議論されていたことが伝わりますし、もっと聞いてみたいこともあるんですが、時間がなくなってきますので進みたいと思います。
3 食品加工業について
(1) 食品加工業の振興について
ここまで産業振興計画策定の御苦労話を聞き続けていますが、このことにはわけがあって、私も似た経験があるからです。少しだけ私の経験をお話しさせていただきたいと思います。今からさかのぼること15年前の平成16年から2年間、土佐経済同友会で地域経済活性化委員会の委員長を務めさせていただきました。ミッションは、高知県の産業振興策についての提言をつくることです。当時の日本銀行、迫田高知支店長が音頭取りで、高知県企業、金融機関、大学などから、そうそうたるメンバーが集い、当たりさわりのない人選ということで20代の私が委員長となりました。県からは、産業振興センターの専務理事であった田中拓美さんに来ていただいておりました。
当時は小泉内閣の三位一体改革の時期で、公共事業が削減され、高知県内でお金が回らなくなってきており、国に頼らずみずから稼げる県にしなければならないという問題意識から、熱心な議論が続きました。今から考えれば、尾崎知事の産業振興計画を先取りした議論を4年前にしていたのではとも思います。
さて、私が委員長を務めたのは2年間で、次の委員長は渋谷日銀高知支店長にお願いをしました。渋谷支店長は、尾崎知事就任以来、定期的に意見交換をされていたので、尾崎知事はよく御存じであろうと思います。渋谷日銀支店長が同友会の委員会で導入したのが、SWOT分析とマトリックス分析の併用という方法論でした。簡単に説明すると、高知県の産業ごとに、強み、弱み、機会、脅威をそれぞれ分析して1つの表にまとめるというものです。
委員会では、農業分野、林業分野などと、それぞれ分野ごとに講師をお迎えして、強み、弱み、機会、脅威について順番に検討していきました。この検討の過程で、農業分野の講師として、後に産振計画フォローアップ委員会委員長となる受田先生を御推薦してくれたのが、県の田中拓美さんでした。田中さんは、当時はまだ県庁の中でメジャーな意見とはなっていなかった、食品加工業の振興を粘り強く主張されていた方です。
最終的に、高知県経済活性化の方向性と活性化に関する提言として、尾崎知事が就任される年の8月に、橋本知事宛てに提出をしました。御興味のある方は、土佐経済同友会のホームページでダウンロードできますので、ごらんいただければと思います。ちなみに、私は書記となっていますが、ロジ周りをやっていた書記で、提言文章は全く書いておりません。
この提言では、優先・重点的に取り組む分野として、1、第1次産業の再編とその周辺加工業の振興、2、健康サービス産業の振興、3、観光振興の3つを挙げております。特に、提言にある第1次産業の再編とその周辺加工業の振興については、尾崎知事の産業振興計画において、食品加工業の振興ということで花開いたのではと思います。また、SWOT分析とマトリックス分析の併用という方法論についても、産業振興計画の策定時に役立ったのだと理解をしております。
私は、尾崎知事の産業振興計画において、食品加工業に力を入れていただいたことを大変評価しております。さきにも述べましたが、過去の高知県政、商工分野においては、県外の大企業誘致が花形である一方で、食品加工業にはほとんど力が入っていなかったように感じます。しかし、尾崎県政となって食品加工業に光が当たり、そして地産外商戦略の中で、高知県内の地域地域で商品開発が進み、大きな広がりとなったということは非常に意義あることに感じます。
そこで、尾崎知事になってから光が当たった食品加工の分野についてどういった思いで支援してきたのか、知事にお聞きをいたします。
◎知事(尾崎正直君)
私は地産外商という話をさせていただきました。もっと言いますと、持てる強みを生かすということが大事だろうと思っています。地域によっては企業誘致、これが非常に強みだという地域もあると思います。ただ、高知の場合は、例えば災害リスクとかということもあり、必ずしもそれが例えば関東北限にある県とか、そういうところに比べれば優位ではないというところがある、他方で1次産業ということでいけば、比較優位があります。また、資源の賦存量が非常に多いという点もあると思います。比較優位があって資源の賦存量の多い産業を生かせというのが経済学の道理ということかと思います。ですから、1次産業を基幹として、その派生関連産業群を生かすというのが産業振興計画の一番原型となったところの考え方であって、地に産するものを生かして外で商うというものに、その地産の強化という点はまさに今言った産業分野を指すということであります。
ですから、1次産業の関連産業群というのは食品加工の分野ということになるわけでありまして、そういう意味において、この食品加工というのは戦略的に非常に重要な産業だろうと、そういうふうに思ったところです。裾野も広い産業でありますし、非常に重要、あわせて観光業についても自然と食を生かす観光、そういうことにつながっていく。高知の場合、それに歴史も加わっていくわけですけれども、そういう意味において派生関連産業群として有用ということだと考え、重点的な対象とすべきと、そのように考えたところです。
そういう中において、経済同友会の高知県経済活性化の方向性と活性化策に関する提言、これは私も参照させていただいて、大いに参考にさせていただいたところです。ここにある考え方というのも、持てる強みを生かそうではないかということ、一言で言えばそういうことだったろうと思います。これは大きな戦略的な転換だった、そういうことを示す提言だったんじゃないかと思います。本当に私も大いに学ばさせていただいて、産業振興計画の策定に当たらせていただいたということであります。
◆16番(依光晃一郎君)
ありがとうございました。同友会の提言のときに、自分は全く役に立ってなかったわけなんですけれど、印象的だったのが、高知を何とかしたいという県外の支店長さん方が本当に応援してくれて--今観光特使で日銀の支店長を含めて残っておりますけれど、そういった県外の方が応援してくれたことに高知県民も触発されて頑張って提言を出したということはひとつ御紹介しておきたいと思います。
(2) 食品加工業の人材育成の取り組みについて
次に、食品加工業を支えた人材育成についてお聞きをいたします。先ほど御紹介した受田先生は、土佐経済同友会の提言で書かれた、第1次産業の再編とその周辺加工業の振興という項目についての御示唆を与えてくれただけではなく、産業振興計画の食品加工業の振興についても御貢献があったのだと認識しております。特に、平成20年にスタートした高知大学の土佐フードビジネスクリエーター、通称土佐FBCという産業人材育成のプラットホームをプロデュースされました。この土佐FBCは、高知県企業からも社員さんを積極的に集め、企業の食品加工に対する技術レベルを向上させ、加えて販売戦略という経営的な視点も講義の中に盛り込んだことから、企業の人材育成にも寄与しました。また、土佐FBCを一緒に学んだという人的ネットワークは、高知県企業同士の連携や、オール高知で地産外商をしていく際の大きな力になったことと思います。
また、この土佐FBCの成功は、土佐まるごとビジネスアカデミー、通称土佐MBAの設置につながりました。産学官の連携という言葉が言われて久しいですが、高知県においては、知の拠点、永国寺キャンパスも整備され、社会人が学ぶ場として、またIT・コンテンツ産業に関する新たなプログラムがスタートしたりと、尾崎県政を通じて新たな付加価値を生み出す体制が整ってきました。
そこで、本日は特に高知県の強みをさらに強くするための食品加工業の人材育成について今後どのように取り組んでいってほしいか、知事にお聞きをいたします。
◎知事(尾崎正直君)
この人材育成事業は、必ずしも食品加工の分野だけにとどまってスタートしたものではなくて、むしろ地域アクションプラン、これを何とか進行させていきたいという中で、平成22年に「目指せ!弥太郎商人塾」を開設したことがスタートであります。そして、これをさらに発展させて、特に事業戦略づくりとかのお役に立ちたいということで、平成24年に土佐まるごとビジネスアカデミーという形で展開をしていったということであります。
その中において、食品加工は重点産業対象分野であるということ、さらにあわせて人材育成が非常に重要であるということ、その分野においてもですね、その点においてこの土佐FBCの取り組みについては大いに我々として参考にさせていただいたし、そもそもこの人材育成の重要性を教えていただいた事業であります。今はまるごとビジネスアカデミーとも一体となって取り組ませていただいております。
平成29年度に食のプラットホームを設置させていただいて、さらに取り組みを進めていっているわけであります。30年度にはIT・コンテンツアカデミーも開設をさせていただきました。人材育成事業そのものをさらに充実していきますとともに、人材育成事業で学んだことを例えば試すことのできる場、先ほど土居議員の御質問にもありましたけれども、そういう場があることが非常に重要ではないのかなと、そういうふうに思っております。
もう一段ハイスペックな、もう一段競争力のあるさまざまな取り組みにつなげていくためにも、人材育成と、そして挑戦をすることのできる場、この2つをつくっていく、これが大事ではないかなと、そういうふうに思っています。
4 SWOT分析とマトリックス分析の活用について
◆16番(依光晃一郎君)
次に、SWOT分析とマトリックス分析の併用という方法論が、産業振興計画策定時にどういった影響を与えたかについてお聞きをしていきます。
私は、この方法論は同友会の提言から、受田先生を通じて産振計画に影響を与えたと考えています。
さて、産業振興についての実効ある総合計画が過去の歴代知事によって実現できなかった理由は、農、林、水産、商工、観光と主要な5つの産業を一まとめにして議論する際に、一般的な方法論がなかったからだと思います。加えて、高知県のいごっそう気質に原因があり、おらがおらがで自分の意見を主張するばかりで、他人の意見に耳をかさず、結果として横の連携と情報共有が進まず、当事者以外は無関心ということで、議論がすぐに壁にぶち当たったからだと分析しています。この主要5つの産業を一まとめに分析し、いごっそう気質を打ち破って、情報共有、他者理解を深める方法として、SWOT分析とマトリックス分析の併用という方法論にたどり着けたのは、高知県にとってブレイクスルーであったと思っております。
高知県の産業振興計画は、国のまち・ひと・しごと創生総合戦略策定にもつながっていきますが、高知県が全国1番目に策定したということから見ても、高知県の議論が先進的であったことは間違いありません。しかし、最近では、個別の産業ごとのPDCAサイクルを回すことのウエートが大きくなり過ぎて、SWOT分析の定期的な検証がおろそかになっているのではと感じます。
例えば、高知県がIT・コンテンツ産業の集積を目指し、新たな強みに変えようとして、アプリ開発コンテストなどの施策をやっているのであれば、横の連携を発揮し、健康長寿政策課の高知家健康パスポートアプリや危機管理防災課の防災アプリなどを、高知県企業を育成する視点で、開発コンテストのようなビジネスチャンスを生み出す取り組みができなかったかと思います。
私は、産業振興計画で雇用をつくり人口を維持していくためには、時代に合った効果的な戦略を立案し続ける必要があると思っております。また、高知県の産業振興に貢献する人材育成についても、高知県がどういう前提で戦略を練ったかという、思考プロセスがわかるSWOT分析とマトリックス分析に基づいた資料があれば、人材を生み出し続けていけると思います。
そこで、SWOT分析とマトリックス分析の併用という方法論で、高知県の産業の強み、弱み、機会、脅威について分析した資料や手法を、産業振興計画の理解を深めるためや人材育成のために活用する考えはないか、産業振興推進部長にお聞きをいたします。
◎産業振興推進部長(井上浩之君)
本県の厳しい経済状況を抜本的に変えていくためには、本県の強みをいま一度見詰め直すとともに、弱みを洗い出した上で社会経済状況の変化を捉えつつ、強みをさらに生かし、弱みをも強みに転ずることが重要であり、この計画の策定段階からSWOT分析とマトリックス分析の併用、いわゆるクロスSWOT分析を用いまして、計画の方向性を検討してまいりました。以後、計画のバージョンアップのたびにこのクロスSWOT分析を重ねてきておりまして、その内容は毎年度計画の総論編にも記載をしているところであります。加えて、移住や観光のようにマーケティングがより重視をされます分野については、具体的な施策の検討に当たって、クロスSWOT分析を積極的に活用しているところであります。
こうした分析は、その分析手法を学び、みずからが分析し、その分析結果からとるべき方策を導き出すことが重要であり、事業者の方々のマーケティングや事業戦略づくりに用いられるものであります。このため県では、県内のものづくり企業の事業戦略や食品事業者の輸出戦略などの策定支援にこの手法を導入するほか、土佐まるごとビジネスアカデミーの経営戦略コースにおいて、この手法を学ぶ講座も実施しているところであります。
今後、産業振興計画における分析結果も活用しながら、そうした手法を学び、実践する場の充実に努め、人材育成にもつなげてまいりたいと考えております。
◆16番(依光晃一郎君)
ありがとうございました。
5 「高知家」コンセプトへの思いについて
次に、尾崎県政が生み出した新たな連携についてお聞きをしていきます。尾崎県政の特徴は、産業間、県庁部局間の壁を越えて新たな連携を生み出したことであると思います。私は、哲学的な奥行きさえ感じる高知家というコンセプトにも注目したいと思います。この高知家については平成25年6月からスタートしておりまして、私は直後の9月議会で最上級の敬意を表して議会質問をさせていただきましたが、今でもその思いは変わりません。
高知家バッジはこれまで約38万個流通しているとお聞きしましたが、高知県民が自腹でお土産として県外に配ったり、高知家のTシャツをふだん着として着て日常的にPRしたりと、高知家というコンセプトに高知県民としての誇りを託しているのではとさえ思ってしまいます。
また、高知家のキャッチフレーズは、産業振興分野だけではなく、部局の垣根を越えて教育委員会や健康政策、福祉政策でも使われております。これだけ広く使われるキャッチフレーズは全国的にも珍しいのではと思います。私は、この尾崎県政で生まれた高知家というコンセプトは、県民性をよくあらわした最高傑作であると思っておりますし、今後の県政でも使い続けてもらいたいと思います。
この高知家というコンセプトについてどういった感想を持っているのか、知事にお聞きをいたします。
◎知事(尾崎正直君)
私は、初めて知事室でこの高知家というのを見させてもらったとき、本当にこれはすばらしいと、直感的に思いました。高知県民の皆様の優しさとか温かさとか、そういうものを本当に端的にあらわした言葉だなと思って、結果として今38万個のピンバッジが出ているわけであります。さらに、高知家のロゴを利用した商品、255件だそうでありますけれども、本当に多くの皆様にいろんなシーンで使っていただいています。ありがたいことだなと、こういう形で県民の皆様に浸透いただいたことについてもありがたいことだと、そのように思っています。
6 知事の施策の進め方について
◆16番(依光晃一郎君)
次に、リーダーとしての尾崎知事の特徴についてお聞きをしていきます。私が今後、人に、知事としてどんな特徴がありましたかと尾崎知事に対して聞かれたならば、一つ一つの政策の論理性を求め、結果にコミットメントした知事だったと答えたいと思います。政治家としての口癖は、PDCAサイクル、数値目標、パス回し、5W1Hの4つが思い浮かびます。
そこで、尾崎知事は、PDCAサイクル、数値目標、パス回し、5W1Hというようなキーワードで大きな県庁組織を動かしていったと思いますが、どういったことに気を配ってきたのか、お聞きをいたします。
◎知事(尾崎正直君)
特に産業振興計画のような経済政策の場合の重要な点、ほかの政策においても重要なことだろうと思いますけれども、大きく言いますと5つの点に気をつけてまいりました。
第1、必ず政策において明確な理念を掲げて目標を設定すること、目指す姿というものを設定するということ。そして第2に、それにかかわる数値目標というものを到達点とゴール、両方含めて設定をするということ。これが非常に重要ということであります。
そして第3に、いわゆるパス回しにかかわると、もっと言えばストーリーをつくるということにもなろうかと思います。もっとブレークダウンして言わせていただきますと、システム全体で考えて、川上、川中、川下全体でその政策を論じて、それぞれのボトルネック、そして牽引役は何かを見出し、ボトルネックを解消し、牽引役を育てるような政策をつくるということ。
そのことをそれぞれに展開しようとし、さらにあわせて経済効果をそれぞれの地域に波及、県内全域に波及させていくという観点から、第4ということになりますけれども、いわゆるネットワークをつくるということを非常に意識してまいりました。例えば、中山間対策では3層構造の政策群をつくるんだと、集落活動センターをつくったりして地域にも効果が及ぶようにする、そういうことなども心がけてきたところであります。
近年は、いわゆるイノベーションを生み出していくようなプラットホームをできるだけつくっていこうということも、あわせて意識をしてきたところであります。パス回しにかかわる部分、すなわちストーリーにかかわる部分ということで言わせていただければ、システムを見る、ネットワークをつくる、プラットホームをつくる、この点について意識して政策形成に取り組んできたところであります。
そういう形で政策についてつくり上げていったら、それを各部署部署に5W1Hという形で割り振っていくということが大事であって、その上でもってPDCAサイクルを回すということが大事だろうと思っています。このことをずっと展開してきたということかと、そのように思っています。
職員の皆さんそれぞれ、私が言わなくてもどんどんどんどん取り組みを進めてくれるようになって、ありがたいことです。産業振興計画の、一番最初つくったときのパンフレットというのが今手元にありますけれども、22ページしかありません。今、第3期産業振興計画のver.4がありますけれども、90ページあります。でも、これは1冊にとじることのできる限界がこれぐらいだから90ページでとどまっているんであって、実際中身で言えばもっともっと分厚いだろうと思っています。22ページを90ページまでに持っていってくれた、みんながいろんな知恵を練ってくれたからでありまして、感謝申し上げたいと、そのように思います。
7 東京事務所が担う役割や機能の変化について
◆16番(依光晃一郎君)
次に、東京事務所のパワーアップについてもお聞きをいたします。
尾崎県政の特色として忘れてはいけないのが予算獲得の力です。知事はドリルと称されることもありますが、論理的に政策を練り上げ、予算の必要性を訴えて、予算を獲得していくやり方をされました。昔のように国の人口も予算もふえる時代であれば、ふえた予算を国会議員が陳情してくる地方に分配するというシステムだったかもしれませんけれども、今では人口減、予算減の時代として、陳情ではなく予算獲得のために論理性を磨いて政策提言をした、このことに力を発揮したのが東京事務所で、知事就任後に組織が拡大され、その存在意義は拡大し続けております。
そこで、尾崎県政となって東京事務所の役割や機能がどう変わってきたのか、知事にお聞きをいたします。
◎知事(尾崎正直君)
1つ目は、政策提言の拠点であります。そして2点目は、地産外商の拠点であります。この2つの役割を果たしてもらいたいということで、機能の強化を図ってまいりました。
後にこの地産外商については、それぞれの組織がさらに引き継いでいくことになります。地産外商公社とか、ものづくり地産地消・外商センターとか、そういう形に展開していくわけでありますが、いまだに東京事務所はそのバックアップをする役割を果たしてくれているところであります。本当に高知にとってはなくてはならない組織だと、そういうふうに思っています。
◆16番(依光晃一郎君)
ありがとうございました。本当に東京事務所の皆さんも頑張られて、知事がどんどんどんどん知事としての役割があって、そのこともサポートされたということで、本当に東京事務所の皆さんにも感謝申し上げたいと思います。
8 商工会や商工会議所へ期待することについて
次に、商工会、商工会議所についてお聞きをいたします。
商工会、商工会議所は、その設立以来、地域の事業者の経営などに助言、支援する第一線の機関として、地域の事業者とともに地域経済の維持・発展に大きく貢献してきています。しかしながら、地域においては、人口の減少や廃業の増加などによる事業所の減少により、組織の維持が難しくなる商工会、商工会議所も発生するような状況でした。
そうした中、平成29年には県内の商工会などで補助金の返還問題という残念な出来事がありましたが、県ではこの問題なども契機とし、商工会などを取り巻く現状や果たすべき役割などを整理し、補助要件の大幅な見直しなど、商工会などへの支援を充実してきています。このことは、地域経済の維持・発展に向けた知事の熱い思いや強いリーダーシップのもとで、全国的にも進んだ取り組みがなされてきたものと認識をしております。
今後とも、人口減少が続く中で地域の商工業の振興を図るために、さまざまな課題を抱える地域の事業者に一層寄り添った対応が求められると考えますが、これからの商工会や商工会議所に期待されることについてどのように考えておられるか、知事にお聞きをいたします。
◎知事(尾崎正直君)
商工会、商工会議所はこれからも地域経済の発展に大きな役割を果たされるだろうと、そのように御期待を申し上げているところであります。1つには、各事業者の皆様方に対する伴走支援を行うという役割、経営計画の策定とか、さらには後継者の確保とか、今後もさまざまな取り組みをされることと思います。そしてもう一点は、地域全体を盛り上げていくような役割、地域の商店街全体としての活性化策を講じられるとか、そういうお仕事も大変意義は大きいであろうと、そのように思わさせていただいております。
いずれの取り組みについても、県として産業振興計画の枠組みの中で、例えばスーパーバイザー、経営支援コーディネーターの配置でありますとか、さらには商店街の振興策の策定支援でありますとか、そういう取り組みなどを通じて、ともに取り組みをさせていただければと、そのように考えさせていただいております。
◆16番(依光晃一郎君)
ありがとうございました。商工会の補助金返還の問題、このときにはいろいろと自分も調査をしたんですけれども、全国的に50%の組織率というのは高いハードルであったのが、尾崎知事のリーダーシップによって変えられたというようなことを聞きました。これは、本当に国の政策にドリルで穴をあけたような、そんなイメージを持っております。ありがとうございます。
最後に、山田高校の新学科開設に向けたPRについてお聞きをいたします。
9 山田高校の新学科開設に向けたPRについて
高知県立山田高校は、令和2年4月から新たな学科を設置し生まれ変わります。新たに設置されるのはグローバル探究科で、商業科はビジネス探究科にパワーアップ、加えてこれまでの普通科を含めて3学科でスタートします。私は、高知県で初めての探究を冠した学科に期待しておりまして、変化し続ける時代を切り開いていける人材育成ということで、高知県の教育にも一石を投じる高校になると信じております。
私は、新しい学科のスタート時にはそれなりの生徒数でスタートしていただきたいと思いますし、中学生にも親御さんにも新しい学校について知らせる必要があると思います。
そこで、山田高校の新学科開設に向けたPRについてどのように考えているのか、教育長にお聞きをいたします。
◎教育長(伊藤博明君)
山田高校のグローバル探究科、ビジネス探究科の開設に向けたPRにつきましては、まず学校が主体となりまして、ホームページとかパンフレットの作成、配布はもちろんのこと、香美市、香南市、南国市の全ての中学校を訪問、それから7月にオープンスクールを開催といったようなことを既に実施しております。また、あした3日には一日体験入学を開催することになっておりまして、約210名の中学生が参加するというふうにお聞きしております。
加えて、県教育委員会としましては、中学生向けの公立高校紹介冊子の配布のほか、11月22日には高知市、23日には香南市で探究科設置の成功例として全国に広く知られております京都市立堀川高校の元校長で、中央教育審議会分科会委員などを歴任されております荒瀬克己先生をお招きして、探究学習のシンポジウムを開催する予定となっております。
また、11月に県内民放で放送予定のテレビの広報特別番組の中でも、山田高校の探究学習の取り組みを紹介させていただくということで、今後も香美市などにも御協力いただきながら、学校と県教委とが協力してPR活動を行っていきたいというふうに考えております。
◆16番(依光晃一郎君)
ありがとうございます。
山田高校に関しては、知事も政策提言の発表を聞いていただいて、そのことがあったのかどうかですけれど、文部科学大臣表彰を山田高校がとりまして、また地域協働本部もやっぱり大臣表彰をいただきました。そういう意味では、本当に人材育成としても産業振興推進部にも大変お世話になりながらできたということで、ぜひとも教育委員会のさらなる支援をお願いしたいと思います。
今日はこんなに時間が足らなくなると思いませんで、結構はしょりながらやってしまいまして、お聞き苦しかったかとも思います。私としては、スーパースターのような尾崎知事がいなくなっても、技術であったりノウハウであったり、それを引き継ぐことでしっかりとした県政をやっていけるように、議会も当然予算をしっかりと通す立場でありますので、PDCAサイクルも見ていきたいと思います。
知事、副知事に本当にいろいろな苦労話も聞きたかったんですが、このことはまた公文書館ができるとかいろいろありますんで、そこで研究したらおもしろいのかなと思います。また、いろんなノウハウとか--高知県の中で、県庁おもてなし課という小説があって映画化もされましたけれども、もしかしたら産業振興計画もですね、何か将来、高知県から日本を変えたというようになれば、またそういう小説が生まれドラマになったらうれしいなと、そういうふうにも思っております。また、タイトルもいろいろあるかと思いますが、尾崎知事とそれを支えた県庁の職員みたいなタイトルになったら、知事の12年間の苦労も報われるんではないかなと思います。12年間本当にお疲れでございました。
以上で、私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
○議長(桑名龍吾君)
以上をもって、依光晃一郎君の質問は終わりました。
以上で、議案に対する質疑並びに一般質問を終結いたします。
一問一答による議案に対する質疑並びに一般質問を続行いたします。
依光晃一郎君の持ち時間は50分です。
16番依光晃一郎君。
◆16番(依光晃一郎君)
尾崎県政最後の質問者ということになりました。23番目の登壇ということで、普通に質問をしては屋上屋を重ねてしまうと思います。そこで、お許しをいただきまして、未来の高知県民や研究者が尾崎県政を理解するために役立つ質問をという意図を持って、質問をさせていただきたいと思います。
1 知事の「対話」に対する思いについて
未来の高知県民や研究者にとって、尾崎県政は成果を上げた県政という評価になると思いますが、実は政策的な岐路があり、失敗を恐れ無難な道を選んでいれば、令和元年の高知県は今とは違ったみじめな高知県であった可能性さえあったということが明らかになればと思います。また、正しい選択肢を選び取ったという意思決定プロセスも未来の県政に受け継いでいただきたいとも思います。知事、副知事を中心に質問させていただきますが、後世の研究者にとっては、御答弁が一級資料になりますし、また教育委員会の歴史副読本にもエピソードが採用されるかもしれませんので、しっかりと御答弁をよろしくお願いいたします。
まず最初に、尾崎県政が誕生した平成19年冬の高知県の状況を思い出してみたいと思います。橋本大二郎知事の最後の4期目4年間は、県議会での辞職勧告決議議案可決、出直し選挙が初年度にあり、議会も県民も選挙を通じて分断された不安定な状態であったと思います。また、橋本県政4期目は平成15年冬からのスタートで、大企業、製造業を中心とした日本の景気回復が19年まで続いていく時期と一致していながら、その恩恵を受けることができなかったという、景気回復の流れから取り残された4年間でもありました。不出馬を表明した橋本知事は、後継候補を出すという動きもありましたが、結局不調に終わり、次の高知県のかじ取り役はどうなるのだろうと県民の心配が高まる中で、尾崎知事が名乗りを上げ、圧倒的な県民の支持を得て高知県知事に就任されます。
この質問をつくりながら、そういえば尾崎知事は1回目の選挙で何を訴えていたのかと思い、当時のリーフレットを見返してみました。そこにはおなじみの対話と実行という文字とともに、力を合わせて高知に活力をという言葉がありました。力を合わせてというフレーズは、選挙を通じて分断されていた高知県にとって、県民の希望になったのではないかと思います。
また、尾崎県政最初の12月県議会、初登壇のときにこういう発言もありました。「県勢は下向きにあると言われていますが、私は決して悲観をしておりません。なぜなら、高知には豊かな自然を初め歴史や文化、そしてすばらしい人々とすばらしい資源がたくさんあるからであります。高知の強みを伸ばしていくことで、この4年間を、県勢を上向きに転じる輝かしい期間にしたいと思います。そして、そのために積極的な対話を通じて人と人、民間と行政、地域と地域などのつながりを築くことで人々の力を結集して、活力あふれる高知を目指してまいります」というものでした。私は、積極的な対話、人々の力を結集という言葉はとても重いものだと感じます。
まず最初に、尾崎県政のキーワードである対話と実行の対話、特に人々の力を結集してという初登壇時に述べられた思いについて知事にお聞きをいたします。
◎知事(尾崎正直君)
私は、12月に就任させていただいたとき、12年前でありましたけれども、そのとき正直申し上げて強烈な危機感を持っておりました。さまざまな県勢指標を見ましたときに、高知県が全国最下位レベルと言うにとどまらないものがある、要するに全国は上向いていても高知だけはついていけていない、もっと言いますと、四国の他県は上向いていても高知だけはついていけていないというものが多々あったという状況でありました。これだけ厳しい状況ということであれば本当に力を合わせて、みんなの力を結集して対応していくことが必要なのだろうと、そのように思わさせていただいたところであります。
そういう意味において、国政の与党、野党を超えて、国政野党の皆様方にも一緒に力を合わせていただいて、本当に心から感謝を申し上げているところであります。また、あわせまして、市町村政との連携・協調という点においても力を合わせていただきたい、そのことをお願いして、その実現もいただき、また多くの県民の皆様方にも大変お力を賜りました。
このように、力を結集する、そのためにもまず大事なことは対話をすることだ、そういうことで対話と実行、力を合わせて高知に活力をということを当時のキャッチフレーズにさせていただいたところでありました。ある意味、危機感の裏返しであったと、そのようにも思わさせていただいておりますし、また力を合わさせていただくということについて、本当に多くの皆様の御協力をいただいたことに感謝を申し上げたいと、そのように思います。
2 産業振興計画について
(1) 産業振興計画策定前後の状況について
◆16番(依光晃一郎君)
次に、対話を通じて県民の知恵を集め、人々の力を結集してつくり上げた産業振興計画についてお聞きをいたします。
産業振興計画はバージョンアップを繰り返し、今年度で第3期ver.4となっております。先月17日にフォローアップ委員会を傍聴させていただきましたが、順調に進化を続けていると感じました。この産業振興計画は、知事就任後すぐに動き出します。知事就任から2回目の議会である平成20年2月議会で、産業振興計画を策定するため担当の副部長やワーキンググループを新たに設け、地域の方々や地域支援企画員、出先機関の職員との連携を強化するほか、ブランド化戦略を部局横断的に検討するため庁内の連携体制と事務局体制の充実を図りますと述べられ、スピード感を持って県庁を尾崎流の組織に変えていきます。年度がかわり、平成20年4月には総務省から恩田馨部長が着任し、6月から受田浩之高知大学副学長を委員長とした産業振興計画の検討委員会がスタートします。この平成20年は激動の年となったのではと思います。
ネットで産業振興計画検討委員会と検索していただけば、第1回の会議の概要を今でも見ることができるのですが、各委員が本気で議論をしております。特に、数値目標についてどう取り扱うかという議論は、高知を何とかせねばという委員の熱意が伝わってきました。
また、当時の政策推進課がつくった産業振興計画の策定についてという資料も公開されているのですが、次の記述があり驚きました。それは、「数値目標を設け、PDCAを行い得るものとする。その際、生産額や雇用といった指標のほか、地域の良さをアピールできる指標も併せて検討する。」というものです。民間だけではなく、取りまとめをする高知県庁にも、数値目標とPDCAサイクルについての意識が最初からあったことがわかります。この数値目標の設定とPDCAサイクルの導入は尾崎県政の大きな特色ですが、県庁という大きな組織で導入する際には、大変なアレルギーがあったのではと想像します。
数年前、当時の総務部長であった恩田さんにお聞きをしたのですが、産業振興計画策定時期には幹部職員のストレスも大きくて、現在の形での産業振興計画ではなく、妥協をした、もっとレベルの低い計画になった可能性もあったということでした。私は、産業振興計画というのはスムーズにでき上がり成果を上げたという評価ではなくて、当時の県庁職員の皆さんによる産みの苦しみがあったということをしっかりと残しておくことが、今後の高知県政にとって、また未来の県庁職員にとっても有益だと信じています。
そこで、産業振興計画検討委員会の時期に総務部副部長で、初代産業振興推進部長であった岩城副知事に、産業振興計画の産みの苦しみなど、策定前後の状況についてお聞きをいたします。
◎副知事(岩城孝章君)
知事が就任して、平成20年度に産業振興計画を実際につくり上げていく時期には、私は総務部副部長ということで、そのときは企画振興部が各産業部局を集めて計画の策定をしておりました。総務部副部長はちょっとそれを傍観するという立場にありまして、産みの苦しみについては正直詳細なことはわかっておりません。ただ、大変な作業をしているということだけはわかりましたし、こうした難しい仕事を誰が実行していくんだろうかというような思いで見ておりました。
ただ、産業振興推進部で仕事をするようになって、その後いろいろ勉強させていただいたとき、その当時、産業振興計画を策定する以前は、やはり各産業分野それぞれにビジョンや計画はございましたが、その目指す方向や目標年次も全くばらばらといったような状況でございました。
産業振興計画の策定に当たりましては、こうした全くばらばらの状況を同じベクトルのもとに一つの計画として、しかも関係団体の御意見を聞きながら短い時間で策定する必要があり、今振り返れば、これまでの県庁の仕事の中でも最も難しい仕事の一つであったのではないかというふうに思っております。
また、計画のスタート後は、計画をよりよいものにするとともに、大きな成果を上げるためにインプットだけではなくアウトプットやアウトカムにこだわり、部局間の連携の徹底やPDCAサイクルによる取り組み状況の点検、検証を四半期ごとに実施するなど、それまでと仕事の仕方が大きく変わり、戸惑う職員も多かったんではないかと思いますが、知事のリーダーシップのもと、職員も日々成長してきました。
もう一つ、大変ありがたいのは、知事の初めての政策、看板政策ということで、県議会議員の皆さん方、関係企業の皆さん方、また多くの県民の皆さん方に大変いろんな形での御助言とかをいただきました。そのことがPDCAサイクルを回していく上でいろんな形でそういうことを参考にして取り組んだ結果、現在産業振興計画の成長につながっているんではないかというふうに思っております。
◆16番(依光晃一郎君)
ありがとうございました。先ほどお聞きしただけでも相当の業務量があって、また仕事のやり方が変わっていくということで、民間であっても数値目標というのは怖いものであって、なかなか大変だったろうなというふうに思います。
(2) 産業振興計画策定を支えた県庁職員のスキルについて
さて、このような状況の中で産業振興計画が策定できたというのは、私は高知県庁の職員の能力が極めてすぐれていたからだという仮説を立てております。先ほども述べましたように、数値目標の設定やPDCAサイクルというのは、民間企業であれば当たり前ですが、単年度予算で動く行政ではアレルギーが強いのではと思っております。県庁として、スタート時から数値目標の設定とPDCAサイクルの導入を決めていたことに関して、改めて敬意を表したいと思います。
このPDCAサイクルですが、高知県庁でいつから使われるようになったかと疑問が湧き、高知県議会の会議録検索システムを使って調べてみました。私の想像では、産業振興計画が策定された後にPDCAサイクルが使われるようになったのだろうと想像して検索したのですが、結果は意外なものでした。初めての登場は平成17年12月定例会で、高知県行政改革プランにかかわることで登場します。つまりPDCAサイクルという概念は、尾崎県政以前の橋本県政時代から使われていたのです。
また、総務部の中に業務改革推進室という部署があり、橋本県政で行われていた県庁職員の定数削減、民間への県庁業務のアウトソーシングなどの業務を通じて、PDCAサイクルや数値目標の設定ということに対しての意識が醸成されていたのだと推測いたします。つまり、尾崎知事のリーダーシップを実現できるスキルが県庁職員にあったからこそ、産業振興計画がスムーズに実行に移せたという仮説です。
産業振興計画策定時において、県庁職員にPDCAサイクルや数値目標に対しての理解と能力があったからこそ、困難を乗り越えて産業振興計画がスタートできたという私の仮説についてどうか、尾崎県政誕生時の平成19年に業務改革推進室長であった岩城副知事にお聞きをいたします。
◎副知事(岩城孝章君)
行政改革プランで平成17年12月、議員がおっしゃられるようにPDCAサイクルという言葉がございました。その当時、この行政改革プランのまさしく実行部隊であった業務改革推進室長という立場で、職員の削減であるとか、あるいは事務システム、総務事務システムを手がけておりました。
ただ、こういう言葉はございましたけれど、私自身これをしっかり回していくというような意識は、申しわけないですけれど、そのときはございませんでした。私だけかと思って、ちょっとその当時一緒に仕事をした吉村観光振興部長、鎌倉健康政策部長に確認しましても、2人ともそういう意識はなかったということでございます。言葉としては認識はしておりました。
加えて、現議長の桑名議員から平成19年6月議会で、PDCAサイクル、アクションプランではあるけれど、PとDはやっているけれど、CとAは全くやっていないじゃないかという御指摘がありました。PDCAサイクルに関しては、その当時はそういうような状況で、やはり産業振興計画が始まって以降、職員にそれが浸透していったということだというふうに思っております。
◆16番(依光晃一郎君)
私の仮説は間違っておったということでしょうが、議会で桑名議長の指摘があったというように、議会側はしっかり議論しておったということがわかりました。けれど、私はそれでも能力はあったんだろうと思っております。
(3) 産業振興計画策定時の苦労について
次に、産業振興計画検討委員会での御苦労についてもお聞きをしていきます。このことについては、検討委員会の委員長をお務めになり、その後のフォローアップ委員会でも委員長をお務めの高知大学副学長、受田浩之教授にお聞きをしました。受田先生によると、第1回の検討委員会が特に印象的とのことでした。なぜかというと、当時の高知県工業会の会長、技研製作所の北村社長が、産業振興計画策定について真っ向から反論したからだそうです。
そこで、ホームページにあった第1回高知県産業振興計画検討委員会の概要という資料を読んでみると、D委員として登場する北村社長が、歴代の知事も産業振興についての計画をつくってきたが結局成果は出ていないではないかという意見を述べられています。また、資料に詳細は載っていませんが、受田先生の記憶によると、北村社長から、新しくつくろうとしている計画も結局は成果が出ないだろう、むしろその分の予算を技研製作所を含む地場企業に投資をしてくれたなら、県が目指す製造品出荷額の目標を達成してみせるというような発言があったようです。私の想像ですが、当時の高知県工業会所属の企業は補助金などの支援が届きにくく、歴代県政への不信感があり、加えて高知県民特有のお上を嫌ういごっそう気質から、けんか腰の意見となったのではと思います。
また、橋本県政においても、高知県産業振興センターを中心に地場産業支援はやっていたと思いますが、技研製作所のような企業への支援は手薄で、県の優先順位は企業誘致など県外企業に向かっていたのかもしれません。橋本県政の製造品出荷額ピークは平成7年の7,055億円で、13年後の平成20年の時期においては、まだ一発逆転で大企業の誘致を実現させたいという成功体験を引きずった思考だったのではと想像します。ちなみに、平成7年は三菱電機高知工場1社だけで958億円を占めていました。
念のため、北村社長についてフォローをさせていただくと、技研製作所の平成30年8月期決算の売り上げは、291億4,000万円ということでした。先ほど述べたエピソードの時期である平成20年決算の売り上げが127億5,000万円ですので、高知県の製造品出荷額にも大きく貢献しているということで、当時の発言は自信の裏返しであったのだと思います。また、数年前から高知県は防災産業の育成に力を入れていますが、東日本大震災後の高知県の販売支援は技研製作所の売り上げに貢献し、社長の県政への意識も変わったことと思います。
前置きが長くなりましたが、産業振興計画検討委員会での御苦労という話に戻ります。北村社長が述べられていたように、歴代知事の産業振興についての総合計画づくりが失敗し続け、また高知県民のいごっそう気質は全県的な総合計画に不向きであるにもかかわらず、オール高知の総合計画を策定できたことは、高知県政始まって以来の奇跡的な快挙であると感じます。
この高知県工業会会長とのバトルのようなことが検討委員会の時期には幾つかあったと思いますが、このときの苦労を振り返ってどう感じておられるか、知事にお聞きをいたします。
◎知事(尾崎正直君)
確かに、産業振興計画をつくっておるとき、さらにつくっても一、二年ぐらいの間というのは、一言で言うと、さんにかけてもらっていなかった、だから大変苦労しました。フォローアップの策定委員会で議論をさせていただくときもしくは県民の皆様とも話をしていて一番苦労したのは、多くの方から、どうせ絵に描いた餅だろうと、つくって終わりの産振計画、それならつくらないほうがいいんじゃないかとか、そういう御意見というのはたくさんいただいたところでありました。なので、そうではないと、つくって本当に実行しますということを言うために、当時の産業振興計画のキャッチフレーズは、当たり前のことなんですけれど、本気で実行でありました。それをいつも言っていました。そういう形で何とか信じていただこうと苦労したことを覚えております。
もう一点は、地産外商、これは無理だろうと、そういう御意見もたくさんありました。もっと言いますと、昨日も申し上げたかと思いますけれども、東京から帰ってきたばかりで偉そうなことを言うなと、東京に売り込みに行こうとしてもそれができないから、なかなか地産外商なんていうのは進まないんじゃないかと、そういう御意見もたくさんいただきました。そういう意味において、この地産外商困難論というのもたくさんお話をいただいたところです。
ただ、そうやって、北村社長もそうですけれども、厳しく言っていただく方、厳しく批判していただいた方こそ、後々いろんな形でアドバイスをいただきました。地産外商の地に産するものを生かすべきだという思想を徹底して、いろんな具体論も含めて御教授いただいたのが北村社長でもありましたし、先ほど言った地産外商は無理だ、もっと言うと絵に描いた餅論、そんなことを言われた方に限って多くのお知恵をいただいた、本当に感謝を申し上げたいと思います。
ただ、もう一個ありまして、第1回目のフォローアップ委員会でも議論した点でありましたけれども、実は若干アプローチの仕方に違いがあって、そこの議論というのは非常に大きかったと思っています。実は、ゴールを設けて数値目標を一定設けるということについては、昔からある程度はやっていたと思います。ただ、問題はその数値目標を設けても、それを実現するための具体の手法がない、政策がない、そういう場合が非常に多かったと、私には思えました。ですから、個々個別の課題についてしっかり分析をして、何を解決していくべきなのか、川上においてどうか、川中においてどうか、川下においてどうか、それをまずしっかり分析することから始めるべきだと、私は当時盛んに言わせていただいていました。
ですから、一個一個、個別の分析への対策みたいになっていって、どちらかというと支流はあるが本流がないとかとよく言われたり、そういう御批判も受けたりしたものでありました。ただ、やはりまずその個々個別の分析というところから始めないと、実際に大きな目標を立てても、その目標達成のための具体の手段というのが浮かび上がってこないのではないか、そう考えて、地味なことではありましたけれども、個々個別の各ポイントについての分析をしてもらったということでありました。
そういう手法に対して、そうではなくて大きな目標を先に掲げていくべきではないかという御議論も結構あったりしまして、そのとおりなんですけれど、ただそうなるための前段として個々の分析をやらせてほしいということを盛んに当時申し上げていたところであります。最終的に個々の分析に基づいた大きな数値目標を掲げられるようになったのは第2期産振計画からでありまして、それから明確にマクロの目標、アウトカム目標というのを定めています。それまでは多分アウトプット目標までだったと、そういうふうに思っております。
◆16番(依光晃一郎君)
本当に真剣に議論されていたことが伝わりますし、もっと聞いてみたいこともあるんですが、時間がなくなってきますので進みたいと思います。
3 食品加工業について
(1) 食品加工業の振興について
ここまで産業振興計画策定の御苦労話を聞き続けていますが、このことにはわけがあって、私も似た経験があるからです。少しだけ私の経験をお話しさせていただきたいと思います。今からさかのぼること15年前の平成16年から2年間、土佐経済同友会で地域経済活性化委員会の委員長を務めさせていただきました。ミッションは、高知県の産業振興策についての提言をつくることです。当時の日本銀行、迫田高知支店長が音頭取りで、高知県企業、金融機関、大学などから、そうそうたるメンバーが集い、当たりさわりのない人選ということで20代の私が委員長となりました。県からは、産業振興センターの専務理事であった田中拓美さんに来ていただいておりました。
当時は小泉内閣の三位一体改革の時期で、公共事業が削減され、高知県内でお金が回らなくなってきており、国に頼らずみずから稼げる県にしなければならないという問題意識から、熱心な議論が続きました。今から考えれば、尾崎知事の産業振興計画を先取りした議論を4年前にしていたのではとも思います。
さて、私が委員長を務めたのは2年間で、次の委員長は渋谷日銀高知支店長にお願いをしました。渋谷支店長は、尾崎知事就任以来、定期的に意見交換をされていたので、尾崎知事はよく御存じであろうと思います。渋谷日銀支店長が同友会の委員会で導入したのが、SWOT分析とマトリックス分析の併用という方法論でした。簡単に説明すると、高知県の産業ごとに、強み、弱み、機会、脅威をそれぞれ分析して1つの表にまとめるというものです。
委員会では、農業分野、林業分野などと、それぞれ分野ごとに講師をお迎えして、強み、弱み、機会、脅威について順番に検討していきました。この検討の過程で、農業分野の講師として、後に産振計画フォローアップ委員会委員長となる受田先生を御推薦してくれたのが、県の田中拓美さんでした。田中さんは、当時はまだ県庁の中でメジャーな意見とはなっていなかった、食品加工業の振興を粘り強く主張されていた方です。
最終的に、高知県経済活性化の方向性と活性化に関する提言として、尾崎知事が就任される年の8月に、橋本知事宛てに提出をしました。御興味のある方は、土佐経済同友会のホームページでダウンロードできますので、ごらんいただければと思います。ちなみに、私は書記となっていますが、ロジ周りをやっていた書記で、提言文章は全く書いておりません。
この提言では、優先・重点的に取り組む分野として、1、第1次産業の再編とその周辺加工業の振興、2、健康サービス産業の振興、3、観光振興の3つを挙げております。特に、提言にある第1次産業の再編とその周辺加工業の振興については、尾崎知事の産業振興計画において、食品加工業の振興ということで花開いたのではと思います。また、SWOT分析とマトリックス分析の併用という方法論についても、産業振興計画の策定時に役立ったのだと理解をしております。
私は、尾崎知事の産業振興計画において、食品加工業に力を入れていただいたことを大変評価しております。さきにも述べましたが、過去の高知県政、商工分野においては、県外の大企業誘致が花形である一方で、食品加工業にはほとんど力が入っていなかったように感じます。しかし、尾崎県政となって食品加工業に光が当たり、そして地産外商戦略の中で、高知県内の地域地域で商品開発が進み、大きな広がりとなったということは非常に意義あることに感じます。
そこで、尾崎知事になってから光が当たった食品加工の分野についてどういった思いで支援してきたのか、知事にお聞きをいたします。
◎知事(尾崎正直君)
私は地産外商という話をさせていただきました。もっと言いますと、持てる強みを生かすということが大事だろうと思っています。地域によっては企業誘致、これが非常に強みだという地域もあると思います。ただ、高知の場合は、例えば災害リスクとかということもあり、必ずしもそれが例えば関東北限にある県とか、そういうところに比べれば優位ではないというところがある、他方で1次産業ということでいけば、比較優位があります。また、資源の賦存量が非常に多いという点もあると思います。比較優位があって資源の賦存量の多い産業を生かせというのが経済学の道理ということかと思います。ですから、1次産業を基幹として、その派生関連産業群を生かすというのが産業振興計画の一番原型となったところの考え方であって、地に産するものを生かして外で商うというものに、その地産の強化という点はまさに今言った産業分野を指すということであります。
ですから、1次産業の関連産業群というのは食品加工の分野ということになるわけでありまして、そういう意味において、この食品加工というのは戦略的に非常に重要な産業だろうと、そういうふうに思ったところです。裾野も広い産業でありますし、非常に重要、あわせて観光業についても自然と食を生かす観光、そういうことにつながっていく。高知の場合、それに歴史も加わっていくわけですけれども、そういう意味において派生関連産業群として有用ということだと考え、重点的な対象とすべきと、そのように考えたところです。
そういう中において、経済同友会の高知県経済活性化の方向性と活性化策に関する提言、これは私も参照させていただいて、大いに参考にさせていただいたところです。ここにある考え方というのも、持てる強みを生かそうではないかということ、一言で言えばそういうことだったろうと思います。これは大きな戦略的な転換だった、そういうことを示す提言だったんじゃないかと思います。本当に私も大いに学ばさせていただいて、産業振興計画の策定に当たらせていただいたということであります。
◆16番(依光晃一郎君)
ありがとうございました。同友会の提言のときに、自分は全く役に立ってなかったわけなんですけれど、印象的だったのが、高知を何とかしたいという県外の支店長さん方が本当に応援してくれて--今観光特使で日銀の支店長を含めて残っておりますけれど、そういった県外の方が応援してくれたことに高知県民も触発されて頑張って提言を出したということはひとつ御紹介しておきたいと思います。
(2) 食品加工業の人材育成の取り組みについて
次に、食品加工業を支えた人材育成についてお聞きをいたします。先ほど御紹介した受田先生は、土佐経済同友会の提言で書かれた、第1次産業の再編とその周辺加工業の振興という項目についての御示唆を与えてくれただけではなく、産業振興計画の食品加工業の振興についても御貢献があったのだと認識しております。特に、平成20年にスタートした高知大学の土佐フードビジネスクリエーター、通称土佐FBCという産業人材育成のプラットホームをプロデュースされました。この土佐FBCは、高知県企業からも社員さんを積極的に集め、企業の食品加工に対する技術レベルを向上させ、加えて販売戦略という経営的な視点も講義の中に盛り込んだことから、企業の人材育成にも寄与しました。また、土佐FBCを一緒に学んだという人的ネットワークは、高知県企業同士の連携や、オール高知で地産外商をしていく際の大きな力になったことと思います。
また、この土佐FBCの成功は、土佐まるごとビジネスアカデミー、通称土佐MBAの設置につながりました。産学官の連携という言葉が言われて久しいですが、高知県においては、知の拠点、永国寺キャンパスも整備され、社会人が学ぶ場として、またIT・コンテンツ産業に関する新たなプログラムがスタートしたりと、尾崎県政を通じて新たな付加価値を生み出す体制が整ってきました。
そこで、本日は特に高知県の強みをさらに強くするための食品加工業の人材育成について今後どのように取り組んでいってほしいか、知事にお聞きをいたします。
◎知事(尾崎正直君)
この人材育成事業は、必ずしも食品加工の分野だけにとどまってスタートしたものではなくて、むしろ地域アクションプラン、これを何とか進行させていきたいという中で、平成22年に「目指せ!弥太郎商人塾」を開設したことがスタートであります。そして、これをさらに発展させて、特に事業戦略づくりとかのお役に立ちたいということで、平成24年に土佐まるごとビジネスアカデミーという形で展開をしていったということであります。
その中において、食品加工は重点産業対象分野であるということ、さらにあわせて人材育成が非常に重要であるということ、その分野においてもですね、その点においてこの土佐FBCの取り組みについては大いに我々として参考にさせていただいたし、そもそもこの人材育成の重要性を教えていただいた事業であります。今はまるごとビジネスアカデミーとも一体となって取り組ませていただいております。
平成29年度に食のプラットホームを設置させていただいて、さらに取り組みを進めていっているわけであります。30年度にはIT・コンテンツアカデミーも開設をさせていただきました。人材育成事業そのものをさらに充実していきますとともに、人材育成事業で学んだことを例えば試すことのできる場、先ほど土居議員の御質問にもありましたけれども、そういう場があることが非常に重要ではないのかなと、そういうふうに思っております。
もう一段ハイスペックな、もう一段競争力のあるさまざまな取り組みにつなげていくためにも、人材育成と、そして挑戦をすることのできる場、この2つをつくっていく、これが大事ではないかなと、そういうふうに思っています。
4 SWOT分析とマトリックス分析の活用について
◆16番(依光晃一郎君)
次に、SWOT分析とマトリックス分析の併用という方法論が、産業振興計画策定時にどういった影響を与えたかについてお聞きをしていきます。
私は、この方法論は同友会の提言から、受田先生を通じて産振計画に影響を与えたと考えています。
さて、産業振興についての実効ある総合計画が過去の歴代知事によって実現できなかった理由は、農、林、水産、商工、観光と主要な5つの産業を一まとめにして議論する際に、一般的な方法論がなかったからだと思います。加えて、高知県のいごっそう気質に原因があり、おらがおらがで自分の意見を主張するばかりで、他人の意見に耳をかさず、結果として横の連携と情報共有が進まず、当事者以外は無関心ということで、議論がすぐに壁にぶち当たったからだと分析しています。この主要5つの産業を一まとめに分析し、いごっそう気質を打ち破って、情報共有、他者理解を深める方法として、SWOT分析とマトリックス分析の併用という方法論にたどり着けたのは、高知県にとってブレイクスルーであったと思っております。
高知県の産業振興計画は、国のまち・ひと・しごと創生総合戦略策定にもつながっていきますが、高知県が全国1番目に策定したということから見ても、高知県の議論が先進的であったことは間違いありません。しかし、最近では、個別の産業ごとのPDCAサイクルを回すことのウエートが大きくなり過ぎて、SWOT分析の定期的な検証がおろそかになっているのではと感じます。
例えば、高知県がIT・コンテンツ産業の集積を目指し、新たな強みに変えようとして、アプリ開発コンテストなどの施策をやっているのであれば、横の連携を発揮し、健康長寿政策課の高知家健康パスポートアプリや危機管理防災課の防災アプリなどを、高知県企業を育成する視点で、開発コンテストのようなビジネスチャンスを生み出す取り組みができなかったかと思います。
私は、産業振興計画で雇用をつくり人口を維持していくためには、時代に合った効果的な戦略を立案し続ける必要があると思っております。また、高知県の産業振興に貢献する人材育成についても、高知県がどういう前提で戦略を練ったかという、思考プロセスがわかるSWOT分析とマトリックス分析に基づいた資料があれば、人材を生み出し続けていけると思います。
そこで、SWOT分析とマトリックス分析の併用という方法論で、高知県の産業の強み、弱み、機会、脅威について分析した資料や手法を、産業振興計画の理解を深めるためや人材育成のために活用する考えはないか、産業振興推進部長にお聞きをいたします。
◎産業振興推進部長(井上浩之君)
本県の厳しい経済状況を抜本的に変えていくためには、本県の強みをいま一度見詰め直すとともに、弱みを洗い出した上で社会経済状況の変化を捉えつつ、強みをさらに生かし、弱みをも強みに転ずることが重要であり、この計画の策定段階からSWOT分析とマトリックス分析の併用、いわゆるクロスSWOT分析を用いまして、計画の方向性を検討してまいりました。以後、計画のバージョンアップのたびにこのクロスSWOT分析を重ねてきておりまして、その内容は毎年度計画の総論編にも記載をしているところであります。加えて、移住や観光のようにマーケティングがより重視をされます分野については、具体的な施策の検討に当たって、クロスSWOT分析を積極的に活用しているところであります。
こうした分析は、その分析手法を学び、みずからが分析し、その分析結果からとるべき方策を導き出すことが重要であり、事業者の方々のマーケティングや事業戦略づくりに用いられるものであります。このため県では、県内のものづくり企業の事業戦略や食品事業者の輸出戦略などの策定支援にこの手法を導入するほか、土佐まるごとビジネスアカデミーの経営戦略コースにおいて、この手法を学ぶ講座も実施しているところであります。
今後、産業振興計画における分析結果も活用しながら、そうした手法を学び、実践する場の充実に努め、人材育成にもつなげてまいりたいと考えております。
◆16番(依光晃一郎君)
ありがとうございました。
5 「高知家」コンセプトへの思いについて
次に、尾崎県政が生み出した新たな連携についてお聞きをしていきます。尾崎県政の特徴は、産業間、県庁部局間の壁を越えて新たな連携を生み出したことであると思います。私は、哲学的な奥行きさえ感じる高知家というコンセプトにも注目したいと思います。この高知家については平成25年6月からスタートしておりまして、私は直後の9月議会で最上級の敬意を表して議会質問をさせていただきましたが、今でもその思いは変わりません。
高知家バッジはこれまで約38万個流通しているとお聞きしましたが、高知県民が自腹でお土産として県外に配ったり、高知家のTシャツをふだん着として着て日常的にPRしたりと、高知家というコンセプトに高知県民としての誇りを託しているのではとさえ思ってしまいます。
また、高知家のキャッチフレーズは、産業振興分野だけではなく、部局の垣根を越えて教育委員会や健康政策、福祉政策でも使われております。これだけ広く使われるキャッチフレーズは全国的にも珍しいのではと思います。私は、この尾崎県政で生まれた高知家というコンセプトは、県民性をよくあらわした最高傑作であると思っておりますし、今後の県政でも使い続けてもらいたいと思います。
この高知家というコンセプトについてどういった感想を持っているのか、知事にお聞きをいたします。
◎知事(尾崎正直君)
私は、初めて知事室でこの高知家というのを見させてもらったとき、本当にこれはすばらしいと、直感的に思いました。高知県民の皆様の優しさとか温かさとか、そういうものを本当に端的にあらわした言葉だなと思って、結果として今38万個のピンバッジが出ているわけであります。さらに、高知家のロゴを利用した商品、255件だそうでありますけれども、本当に多くの皆様にいろんなシーンで使っていただいています。ありがたいことだなと、こういう形で県民の皆様に浸透いただいたことについてもありがたいことだと、そのように思っています。
6 知事の施策の進め方について
◆16番(依光晃一郎君)
次に、リーダーとしての尾崎知事の特徴についてお聞きをしていきます。私が今後、人に、知事としてどんな特徴がありましたかと尾崎知事に対して聞かれたならば、一つ一つの政策の論理性を求め、結果にコミットメントした知事だったと答えたいと思います。政治家としての口癖は、PDCAサイクル、数値目標、パス回し、5W1Hの4つが思い浮かびます。
そこで、尾崎知事は、PDCAサイクル、数値目標、パス回し、5W1Hというようなキーワードで大きな県庁組織を動かしていったと思いますが、どういったことに気を配ってきたのか、お聞きをいたします。
◎知事(尾崎正直君)
特に産業振興計画のような経済政策の場合の重要な点、ほかの政策においても重要なことだろうと思いますけれども、大きく言いますと5つの点に気をつけてまいりました。
第1、必ず政策において明確な理念を掲げて目標を設定すること、目指す姿というものを設定するということ。そして第2に、それにかかわる数値目標というものを到達点とゴール、両方含めて設定をするということ。これが非常に重要ということであります。
そして第3に、いわゆるパス回しにかかわると、もっと言えばストーリーをつくるということにもなろうかと思います。もっとブレークダウンして言わせていただきますと、システム全体で考えて、川上、川中、川下全体でその政策を論じて、それぞれのボトルネック、そして牽引役は何かを見出し、ボトルネックを解消し、牽引役を育てるような政策をつくるということ。
そのことをそれぞれに展開しようとし、さらにあわせて経済効果をそれぞれの地域に波及、県内全域に波及させていくという観点から、第4ということになりますけれども、いわゆるネットワークをつくるということを非常に意識してまいりました。例えば、中山間対策では3層構造の政策群をつくるんだと、集落活動センターをつくったりして地域にも効果が及ぶようにする、そういうことなども心がけてきたところであります。
近年は、いわゆるイノベーションを生み出していくようなプラットホームをできるだけつくっていこうということも、あわせて意識をしてきたところであります。パス回しにかかわる部分、すなわちストーリーにかかわる部分ということで言わせていただければ、システムを見る、ネットワークをつくる、プラットホームをつくる、この点について意識して政策形成に取り組んできたところであります。
そういう形で政策についてつくり上げていったら、それを各部署部署に5W1Hという形で割り振っていくということが大事であって、その上でもってPDCAサイクルを回すということが大事だろうと思っています。このことをずっと展開してきたということかと、そのように思っています。
職員の皆さんそれぞれ、私が言わなくてもどんどんどんどん取り組みを進めてくれるようになって、ありがたいことです。産業振興計画の、一番最初つくったときのパンフレットというのが今手元にありますけれども、22ページしかありません。今、第3期産業振興計画のver.4がありますけれども、90ページあります。でも、これは1冊にとじることのできる限界がこれぐらいだから90ページでとどまっているんであって、実際中身で言えばもっともっと分厚いだろうと思っています。22ページを90ページまでに持っていってくれた、みんながいろんな知恵を練ってくれたからでありまして、感謝申し上げたいと、そのように思います。
7 東京事務所が担う役割や機能の変化について
◆16番(依光晃一郎君)
次に、東京事務所のパワーアップについてもお聞きをいたします。
尾崎県政の特色として忘れてはいけないのが予算獲得の力です。知事はドリルと称されることもありますが、論理的に政策を練り上げ、予算の必要性を訴えて、予算を獲得していくやり方をされました。昔のように国の人口も予算もふえる時代であれば、ふえた予算を国会議員が陳情してくる地方に分配するというシステムだったかもしれませんけれども、今では人口減、予算減の時代として、陳情ではなく予算獲得のために論理性を磨いて政策提言をした、このことに力を発揮したのが東京事務所で、知事就任後に組織が拡大され、その存在意義は拡大し続けております。
そこで、尾崎県政となって東京事務所の役割や機能がどう変わってきたのか、知事にお聞きをいたします。
◎知事(尾崎正直君)
1つ目は、政策提言の拠点であります。そして2点目は、地産外商の拠点であります。この2つの役割を果たしてもらいたいということで、機能の強化を図ってまいりました。
後にこの地産外商については、それぞれの組織がさらに引き継いでいくことになります。地産外商公社とか、ものづくり地産地消・外商センターとか、そういう形に展開していくわけでありますが、いまだに東京事務所はそのバックアップをする役割を果たしてくれているところであります。本当に高知にとってはなくてはならない組織だと、そういうふうに思っています。
◆16番(依光晃一郎君)
ありがとうございました。本当に東京事務所の皆さんも頑張られて、知事がどんどんどんどん知事としての役割があって、そのこともサポートされたということで、本当に東京事務所の皆さんにも感謝申し上げたいと思います。
8 商工会や商工会議所へ期待することについて
次に、商工会、商工会議所についてお聞きをいたします。
商工会、商工会議所は、その設立以来、地域の事業者の経営などに助言、支援する第一線の機関として、地域の事業者とともに地域経済の維持・発展に大きく貢献してきています。しかしながら、地域においては、人口の減少や廃業の増加などによる事業所の減少により、組織の維持が難しくなる商工会、商工会議所も発生するような状況でした。
そうした中、平成29年には県内の商工会などで補助金の返還問題という残念な出来事がありましたが、県ではこの問題なども契機とし、商工会などを取り巻く現状や果たすべき役割などを整理し、補助要件の大幅な見直しなど、商工会などへの支援を充実してきています。このことは、地域経済の維持・発展に向けた知事の熱い思いや強いリーダーシップのもとで、全国的にも進んだ取り組みがなされてきたものと認識をしております。
今後とも、人口減少が続く中で地域の商工業の振興を図るために、さまざまな課題を抱える地域の事業者に一層寄り添った対応が求められると考えますが、これからの商工会や商工会議所に期待されることについてどのように考えておられるか、知事にお聞きをいたします。
◎知事(尾崎正直君)
商工会、商工会議所はこれからも地域経済の発展に大きな役割を果たされるだろうと、そのように御期待を申し上げているところであります。1つには、各事業者の皆様方に対する伴走支援を行うという役割、経営計画の策定とか、さらには後継者の確保とか、今後もさまざまな取り組みをされることと思います。そしてもう一点は、地域全体を盛り上げていくような役割、地域の商店街全体としての活性化策を講じられるとか、そういうお仕事も大変意義は大きいであろうと、そのように思わさせていただいております。
いずれの取り組みについても、県として産業振興計画の枠組みの中で、例えばスーパーバイザー、経営支援コーディネーターの配置でありますとか、さらには商店街の振興策の策定支援でありますとか、そういう取り組みなどを通じて、ともに取り組みをさせていただければと、そのように考えさせていただいております。
◆16番(依光晃一郎君)
ありがとうございました。商工会の補助金返還の問題、このときにはいろいろと自分も調査をしたんですけれども、全国的に50%の組織率というのは高いハードルであったのが、尾崎知事のリーダーシップによって変えられたというようなことを聞きました。これは、本当に国の政策にドリルで穴をあけたような、そんなイメージを持っております。ありがとうございます。
最後に、山田高校の新学科開設に向けたPRについてお聞きをいたします。
9 山田高校の新学科開設に向けたPRについて
高知県立山田高校は、令和2年4月から新たな学科を設置し生まれ変わります。新たに設置されるのはグローバル探究科で、商業科はビジネス探究科にパワーアップ、加えてこれまでの普通科を含めて3学科でスタートします。私は、高知県で初めての探究を冠した学科に期待しておりまして、変化し続ける時代を切り開いていける人材育成ということで、高知県の教育にも一石を投じる高校になると信じております。
私は、新しい学科のスタート時にはそれなりの生徒数でスタートしていただきたいと思いますし、中学生にも親御さんにも新しい学校について知らせる必要があると思います。
そこで、山田高校の新学科開設に向けたPRについてどのように考えているのか、教育長にお聞きをいたします。
◎教育長(伊藤博明君)
山田高校のグローバル探究科、ビジネス探究科の開設に向けたPRにつきましては、まず学校が主体となりまして、ホームページとかパンフレットの作成、配布はもちろんのこと、香美市、香南市、南国市の全ての中学校を訪問、それから7月にオープンスクールを開催といったようなことを既に実施しております。また、あした3日には一日体験入学を開催することになっておりまして、約210名の中学生が参加するというふうにお聞きしております。
加えて、県教育委員会としましては、中学生向けの公立高校紹介冊子の配布のほか、11月22日には高知市、23日には香南市で探究科設置の成功例として全国に広く知られております京都市立堀川高校の元校長で、中央教育審議会分科会委員などを歴任されております荒瀬克己先生をお招きして、探究学習のシンポジウムを開催する予定となっております。
また、11月に県内民放で放送予定のテレビの広報特別番組の中でも、山田高校の探究学習の取り組みを紹介させていただくということで、今後も香美市などにも御協力いただきながら、学校と県教委とが協力してPR活動を行っていきたいというふうに考えております。
◆16番(依光晃一郎君)
ありがとうございます。
山田高校に関しては、知事も政策提言の発表を聞いていただいて、そのことがあったのかどうかですけれど、文部科学大臣表彰を山田高校がとりまして、また地域協働本部もやっぱり大臣表彰をいただきました。そういう意味では、本当に人材育成としても産業振興推進部にも大変お世話になりながらできたということで、ぜひとも教育委員会のさらなる支援をお願いしたいと思います。
今日はこんなに時間が足らなくなると思いませんで、結構はしょりながらやってしまいまして、お聞き苦しかったかとも思います。私としては、スーパースターのような尾崎知事がいなくなっても、技術であったりノウハウであったり、それを引き継ぐことでしっかりとした県政をやっていけるように、議会も当然予算をしっかりと通す立場でありますので、PDCAサイクルも見ていきたいと思います。
知事、副知事に本当にいろいろな苦労話も聞きたかったんですが、このことはまた公文書館ができるとかいろいろありますんで、そこで研究したらおもしろいのかなと思います。また、いろんなノウハウとか--高知県の中で、県庁おもてなし課という小説があって映画化もされましたけれども、もしかしたら産業振興計画もですね、何か将来、高知県から日本を変えたというようになれば、またそういう小説が生まれドラマになったらうれしいなと、そういうふうにも思っております。また、タイトルもいろいろあるかと思いますが、尾崎知事とそれを支えた県庁の職員みたいなタイトルになったら、知事の12年間の苦労も報われるんではないかなと思います。12年間本当にお疲れでございました。
以上で、私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
○議長(桑名龍吾君)
以上をもって、依光晃一郎君の質問は終わりました。
以上で、議案に対する質疑並びに一般質問を終結いたします。
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