2015.08.25 改めて自己紹介
改めて、自己紹介。
この自己紹介というのは、これから書く記事の内容について、どういった立ち位置で書いていくかについて、皆様方に知って頂き、以前ブログを書いていた立場と何が違うのかについて書きたいと思います。
昭和52年(1977)5月8日生まれ。
実家は、依光瓦工業有限会社(明治35年創業)の5代目。
長男で、妹2人。嫁。子供なし。
(とここまで書いて、来客で1時間中断・・・)
楠目小学校、土佐中・高と進んで、大阪の駿台で1浪。
東京都立大学経済学部卒業後、そのまま家業へ。
「なぜ、議員になったの?」とよく聞かれます。答えは、「自分の将来について、いろいろと考えているうちに、世の中を変えなければ解決できないと考えるようになった」というものなのですが、もう少し詳しく書いていきます。
私が23才の時に高知にもどって、家業に就いた平成14年は、うちの商売もそれなりに仕事があって、売り上げも1億8千万ほどあり、従業員さんも20名を超えていたのですが、その後、段々と経営環境は悪化し、数年後には、売り上げが半分以下に落ち込みました。
その原因を私なりに分析すると、うちの瓦屋のお得意先である、高知の伝統的な日本建築で家を建てる地元の大工さんからの注文が激減したこと。
うちの瓦屋は、窯を持っていて日本瓦を製造して、瓦を屋根に葺く工事をやっています。しかし、日本瓦を使わないプレハブメーカーの下請けでの屋根工事(平板瓦、板金)はやっていません。近年の戸建て住宅に関して、伝統的な土佐の日本建築ではなく、県外大手メーカーが作るプレハブ住宅が増えていったことが、じわじわと売り上げを減らした原因です。
ライフスタイルの変化で、皿鉢を囲んでおきゃく(飲み会)ができる和室の客間は姿を消し、プライベート空間を確保し、自分の部屋を持ちたいというニーズは、壁で構造を作っていくツーバーフォー工法など、プレハブ住宅と相性が良く、柱で構造を作っていく伝統的な軸組み工法は敬遠され続けています。
じゃあプレハブをやればいいじゃないかということなのですが、ご先祖から受け継いだ窯のある会社なので、高知県から日本建築がなるまで、日本瓦にこだわって仕事をしていきたいと思っています。
それと、瓦屋根の日本建築に住む人は、一次産業に従事する方々で、私の瓦屋のテリトリーでは、ハウス農家が多く、農業の景気が悪くなったということも大きいと思います。
瓦屋の5代目でもあり、先祖から受け継いだ瓦の文化を守るには、世の中の仕組みにまで手を入れなければということで、政治家を目指したというようなことが、私が政治家を目指した理由です。そして、うちのお客さんは、中山間地域の過疎が進む集落の方も多く、いろいろな地域で空き家が増えたり、集落が消滅しつつある現状もたくさん見たということも、世の中を変えたいというモチベーションになりました。
まあ、こうやって書くと綺麗な物語ですが、実際は、売り上げが激減する中で、リストラはしないという依光家の方針のもと、父・母・自分の給与を下げ、定年退職までの従業員の仕事を生み出すために、営業で走り回る毎日。また現場の仕事がなく、売れる見込みが立たない工場の仕事に、屋根工事の職人さんを配置換えして、瓦の在庫を積み増す中で、新たな仕事を生み出せないかと、有機農業の勉強をしたりもしました。そんな試行錯誤の30代前後を過ごすうちに、「思いつめて」立候補したというのが正直な事実です。
(会社の経営が順調であったなら、議員という立場ではない形で、社会貢献していたと思います)
「思いつめて」というのは、当時の自分の精神状態は、異常であったということで、「このままではだめだ。自分が立候補して、世の中に自分の考えを伝えたい!」という一念で、街頭演説をスタートさせました。(普通の人はやらないですよね)
街頭演説であったり、戸別訪問であったりというのは、議員に上げていただいた今では、どうっていうこともありませんが、肩書のない時点では、新興宗教と間違われたり、変な訪問販売と間違われたりと、結構厳しい対応を受けたりと、凹むことも多くありました。
立候補というのは、少し頭のネジが飛んでいるような人ではないとできないと思います。(自分の顔のポスターが町中に貼られる訳ですし)
選挙に関することは、また別の機会があれば詳しく書きたいと思いますが、私の選挙区は1人区で、香美市全域が選挙区です。当時の現職は無所属で民主系。私は無所属で自民系ということで、自民党が追い風の中、幸運にも勝たせていただきました。ちなみに香美市の人口は7月1日現在 27,029人。
現在の役職も書いておきます。
高知県議会
危機管理文化厚生委員会 委員長
自民党高知県連
青年局長
香美市商工会
青年部 副部長(理事)
NPO法人 FUSE(ヒューズ)
顧問
土佐経済同友会
幹事
その他に、楠目消防分団にも所属しております。今年は操法の当番がうちの分団に当たっているのですが、あまり訓練に参加できずにすみません。。。
今後、書いていく記事は、県議会議員ということも前提で書いていきますので、少し上から目線になる場合がありますが、お許し頂ければと思います。
議員になって何が変わったかというと、県庁などに行った際に、年上の職員さんなどから「先生」などと呼ばれ、そのことが普通になってきたということです。先生と呼ぶ方も、別に依光という人格に対してではなく、県議会議員という立場に対して呼んで頂いているのだと理解しているのですが、慣れとは恐ろしいもので、最近では先生と呼ばれるのが普通というような感覚になりつつあります。上から目線な記事があれば、たぶんダークサイドに踏み入れつつある兆候なので、ご指摘いただければ幸いです。
一方で、県議会議員という立場で話をすることを求められる場合もあります。香美市で一人の県議会議員なので、来賓として呼んで頂き、祝辞を述べさせていただく時があります。また、議会では、委員長(1年間)を仰せつかっており、委員会を代表して部長はじめ県庁の皆さんと対峙し、厳しく指摘させていただく場合もあります。この場合には、そういうもんだと思って、お許しください。
個人的には、立場を離れれば、依光晃一郎という気さくな38才(おんちゃん)として、接してもらい続けたいと思っておりますので、偉そうにふるまっている場合には、「あれは役割としてやっているだけで、本当はいいやつだ」と思っていただければと。
(落ちたらサル以下といわれる議員ですから、落選する未来の自分も想定しながら、こうべを垂れて活動せねば、瓦屋は続けられない)
また、高知県庁や香美市役所の皆さんがお読みになって、不快に思われることがあるかもしれません。ある事業について「もっと積極的にやるべきだ」と書いた際には、議会の委員会などでの発言ではないので、議員という立場ではなく、一般論として発言しているというようなことで、受け止めていただければと思います。(まあ、県庁の皆さんが私のブログを読むほど、暇ではないと思いますが、念のため)
それでは高知県の課題。香美市の課題など、分かりやすく書いて、多くの力で地域を良くしていくべく情報発信していきたいと思います。お役に立てるブログになればと思います。
最後に、このブログは、依光晃一郎のバカ発見器です。過去に書いた記事も含め、書き換えや削除はこれまでしていませんし、今後もしません。(今後書き換える場合は、そのことを明記します。誤字脱字、てにをは修正除く)ただ、瓦屋だけをやっていた時代と、今とでは考え方が変わっていることも多くあります。過去に書いたことと、今書いていることに矛盾があった場合は、今書いている考え方に変わったとお考え頂ければと思います。
最後の最後に、このブログに書かれていることは、本当の依光というよりは、依光が「世の中にこう見てもらいたい」という願望が入っての依光です。実際に会ってみると、印象が違うということもあるのではと思います。そこで一番いいのは直接お話しすることだと思います。このブログを通じて、多くの方と交流できればと思います。
私にお手伝いできることは、何なりとご連絡いただければと思います。
メールアドレスは、ブログの右上に明記してあります。
今後ともご贔屓にによろしくお願いいたします。
この自己紹介というのは、これから書く記事の内容について、どういった立ち位置で書いていくかについて、皆様方に知って頂き、以前ブログを書いていた立場と何が違うのかについて書きたいと思います。
昭和52年(1977)5月8日生まれ。
実家は、依光瓦工業有限会社(明治35年創業)の5代目。
長男で、妹2人。嫁。子供なし。
(とここまで書いて、来客で1時間中断・・・)
楠目小学校、土佐中・高と進んで、大阪の駿台で1浪。
東京都立大学経済学部卒業後、そのまま家業へ。
「なぜ、議員になったの?」とよく聞かれます。答えは、「自分の将来について、いろいろと考えているうちに、世の中を変えなければ解決できないと考えるようになった」というものなのですが、もう少し詳しく書いていきます。
私が23才の時に高知にもどって、家業に就いた平成14年は、うちの商売もそれなりに仕事があって、売り上げも1億8千万ほどあり、従業員さんも20名を超えていたのですが、その後、段々と経営環境は悪化し、数年後には、売り上げが半分以下に落ち込みました。
その原因を私なりに分析すると、うちの瓦屋のお得意先である、高知の伝統的な日本建築で家を建てる地元の大工さんからの注文が激減したこと。
うちの瓦屋は、窯を持っていて日本瓦を製造して、瓦を屋根に葺く工事をやっています。しかし、日本瓦を使わないプレハブメーカーの下請けでの屋根工事(平板瓦、板金)はやっていません。近年の戸建て住宅に関して、伝統的な土佐の日本建築ではなく、県外大手メーカーが作るプレハブ住宅が増えていったことが、じわじわと売り上げを減らした原因です。
ライフスタイルの変化で、皿鉢を囲んでおきゃく(飲み会)ができる和室の客間は姿を消し、プライベート空間を確保し、自分の部屋を持ちたいというニーズは、壁で構造を作っていくツーバーフォー工法など、プレハブ住宅と相性が良く、柱で構造を作っていく伝統的な軸組み工法は敬遠され続けています。
じゃあプレハブをやればいいじゃないかということなのですが、ご先祖から受け継いだ窯のある会社なので、高知県から日本建築がなるまで、日本瓦にこだわって仕事をしていきたいと思っています。
それと、瓦屋根の日本建築に住む人は、一次産業に従事する方々で、私の瓦屋のテリトリーでは、ハウス農家が多く、農業の景気が悪くなったということも大きいと思います。
瓦屋の5代目でもあり、先祖から受け継いだ瓦の文化を守るには、世の中の仕組みにまで手を入れなければということで、政治家を目指したというようなことが、私が政治家を目指した理由です。そして、うちのお客さんは、中山間地域の過疎が進む集落の方も多く、いろいろな地域で空き家が増えたり、集落が消滅しつつある現状もたくさん見たということも、世の中を変えたいというモチベーションになりました。
まあ、こうやって書くと綺麗な物語ですが、実際は、売り上げが激減する中で、リストラはしないという依光家の方針のもと、父・母・自分の給与を下げ、定年退職までの従業員の仕事を生み出すために、営業で走り回る毎日。また現場の仕事がなく、売れる見込みが立たない工場の仕事に、屋根工事の職人さんを配置換えして、瓦の在庫を積み増す中で、新たな仕事を生み出せないかと、有機農業の勉強をしたりもしました。そんな試行錯誤の30代前後を過ごすうちに、「思いつめて」立候補したというのが正直な事実です。
(会社の経営が順調であったなら、議員という立場ではない形で、社会貢献していたと思います)
「思いつめて」というのは、当時の自分の精神状態は、異常であったということで、「このままではだめだ。自分が立候補して、世の中に自分の考えを伝えたい!」という一念で、街頭演説をスタートさせました。(普通の人はやらないですよね)
街頭演説であったり、戸別訪問であったりというのは、議員に上げていただいた今では、どうっていうこともありませんが、肩書のない時点では、新興宗教と間違われたり、変な訪問販売と間違われたりと、結構厳しい対応を受けたりと、凹むことも多くありました。
立候補というのは、少し頭のネジが飛んでいるような人ではないとできないと思います。(自分の顔のポスターが町中に貼られる訳ですし)
選挙に関することは、また別の機会があれば詳しく書きたいと思いますが、私の選挙区は1人区で、香美市全域が選挙区です。当時の現職は無所属で民主系。私は無所属で自民系ということで、自民党が追い風の中、幸運にも勝たせていただきました。ちなみに香美市の人口は7月1日現在 27,029人。
現在の役職も書いておきます。
高知県議会
危機管理文化厚生委員会 委員長
自民党高知県連
青年局長
香美市商工会
青年部 副部長(理事)
NPO法人 FUSE(ヒューズ)
顧問
土佐経済同友会
幹事
その他に、楠目消防分団にも所属しております。今年は操法の当番がうちの分団に当たっているのですが、あまり訓練に参加できずにすみません。。。
今後、書いていく記事は、県議会議員ということも前提で書いていきますので、少し上から目線になる場合がありますが、お許し頂ければと思います。
議員になって何が変わったかというと、県庁などに行った際に、年上の職員さんなどから「先生」などと呼ばれ、そのことが普通になってきたということです。先生と呼ぶ方も、別に依光という人格に対してではなく、県議会議員という立場に対して呼んで頂いているのだと理解しているのですが、慣れとは恐ろしいもので、最近では先生と呼ばれるのが普通というような感覚になりつつあります。上から目線な記事があれば、たぶんダークサイドに踏み入れつつある兆候なので、ご指摘いただければ幸いです。
一方で、県議会議員という立場で話をすることを求められる場合もあります。香美市で一人の県議会議員なので、来賓として呼んで頂き、祝辞を述べさせていただく時があります。また、議会では、委員長(1年間)を仰せつかっており、委員会を代表して部長はじめ県庁の皆さんと対峙し、厳しく指摘させていただく場合もあります。この場合には、そういうもんだと思って、お許しください。
個人的には、立場を離れれば、依光晃一郎という気さくな38才(おんちゃん)として、接してもらい続けたいと思っておりますので、偉そうにふるまっている場合には、「あれは役割としてやっているだけで、本当はいいやつだ」と思っていただければと。
(落ちたらサル以下といわれる議員ですから、落選する未来の自分も想定しながら、こうべを垂れて活動せねば、瓦屋は続けられない)
また、高知県庁や香美市役所の皆さんがお読みになって、不快に思われることがあるかもしれません。ある事業について「もっと積極的にやるべきだ」と書いた際には、議会の委員会などでの発言ではないので、議員という立場ではなく、一般論として発言しているというようなことで、受け止めていただければと思います。(まあ、県庁の皆さんが私のブログを読むほど、暇ではないと思いますが、念のため)
それでは高知県の課題。香美市の課題など、分かりやすく書いて、多くの力で地域を良くしていくべく情報発信していきたいと思います。お役に立てるブログになればと思います。
最後に、このブログは、依光晃一郎のバカ発見器です。過去に書いた記事も含め、書き換えや削除はこれまでしていませんし、今後もしません。(今後書き換える場合は、そのことを明記します。誤字脱字、てにをは修正除く)ただ、瓦屋だけをやっていた時代と、今とでは考え方が変わっていることも多くあります。過去に書いたことと、今書いていることに矛盾があった場合は、今書いている考え方に変わったとお考え頂ければと思います。
最後の最後に、このブログに書かれていることは、本当の依光というよりは、依光が「世の中にこう見てもらいたい」という願望が入っての依光です。実際に会ってみると、印象が違うということもあるのではと思います。そこで一番いいのは直接お話しすることだと思います。このブログを通じて、多くの方と交流できればと思います。
私にお手伝いできることは、何なりとご連絡いただければと思います。
メールアドレスは、ブログの右上に明記してあります。
今後ともご贔屓にによろしくお願いいたします。
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