2006年09月29日

元兵士と竹富島民今も交流



高知新聞朝刊 2006年09月29日
「元兵士と竹富島民今も交流」
いの町に70人集う
助け合った仲 家族に継承


この記事にある独立歩兵301大隊第一中隊に、自分のひじいさんが参加しており、一度きちんと調べてみたいと思いつつ今日になる。

ひじいさんの名前は田川孝雄といい、母方である。

物部町拓で、現在も元気に暮らしている。
板前であったことから、軍でも炊事を担当していたらしい。

高知県の兵隊は損耗率(戦死者と負傷者の比率)が突出して高いそうだが、これは激戦地に送られたことによるらしい。

参考はこちら

ちなみに父方の祖父は、搭乗していた戦艦(輸送船かも?)を沈められ、一晩海に浮かんでいたところ、命からがら助けられるという経験をしたそうだ。

あまり戦時中のことを語らず、また故人となったため、もう詳しいことは分からない。


さて、ひじいさんたちの中隊は、戦時中1発の銃も撃つことなく終戦となっている。

奇跡的な事例であるし、記事の内容を読んでも、とても人道的な立派な部隊である。
この記事に出会うことができて、とても嬉しく思う。



最近、憲法9条の改正が話題にのぼる。
絶対に反対である!

戦争ができるようにする改正を、なぜみんなが賛成するのかが分からない。

「じゃあ、どこかの国が攻めてきたらどうするのか?」

もし私がそう聞かれたら、逆に質問をしたい。

どこの国が攻めてくるのだと。


もし日本を攻めてくる国があるとすれば、それは防衛戦争を大義名分に仕掛けてくる。

もうすぐ日本が攻撃してくるから、先制攻撃をするんだと。



多くの土佐人の犠牲の上に、今の平和がある。
そのことを忘れてはいけない。

もし日本に戦争がなく、多くの土佐の先輩たちが死んでいなかったら、今の高知はもっと違ったものになっていたに違いない。

優秀な人材から死んでいく。
それが戦争であると思う。

以下ご参考。

島民を守った反骨の部隊「大石隊」
http://peace-k.web5.jp/okinawasentokochi/okinawasentokochi-9.htm


島のうつりかわり
http://www.napcoti.com/history/history/contents13.htm


ちなみに、この大石さんのお孫さんと、自分は友人であったりする。不思議なご縁。

うつぐみ(=助け合い)の心、今も・・・。太平洋戦争末期、沖縄県竹富島の守備に当たった「独立歩兵301大隊第一中隊」の元隊員と島民らの交流が、戦後六十年を過ぎても続いている。関係者でつくる「沖縄・高知・東京を結ぶうつぐみの会」=大石喬会長(九六)=がこのほど、吾川郡いの町並川の伊野かんぽ保養センターで開かれた。



(2007.04.30アップ)
 竹島島は石垣島の南約六キロにある小島で、戦時中は約千人が住んでいた。同隊約二百人は大石さんを隊長に、昭和十九年から約1年間、米軍の上陸に備えて同島の守備に当たった。

 当時、他の島では守備隊と住民間の対立が見られたそうだが、同隊はお汁粉大会を開くなど融和を進めた。同隊の事務局指揮班に所属していた上田良吉さん(八三)=吾川郡春野町=は「部隊は米を作り漁をした。ようけ捕った時には島民に分け、みんなで手を取り合ってやってきた」と話す。

 島民も陣地構築や食料補給に協力し、歌や踊りで隊員を慰問した。マラリアなどで隊員九人が亡くなったが、島民からは一人の負傷者も出なかったという。

 「かしくさや うつぐみどぅ まさる」。竹富島の民謡「しきた盆」にこんな一節がある。人間は賢いことよりも、うつぐみの精神のある人の方が尊いという意味だ。

 「−うつぐみの会」は、昭和三十八年に結成した同隊の戦友会「高知竹富会」が母体となり、平成五年に結成。交流と友情を子や孫にも引き継ごうと島民やその家族、関係者らも会員となっている。

 二年に一度、本県と沖縄、東京の持ち回りで開催し、七回目。竹富、石垣島など沖縄からの十三人をはじめ、約七十人が参加し、沖縄の伝統舞踊を披露したり、よさこい節などを歌うなどして、再会を喜び合った。

 当時、隊の炊事に当たっていたという長野秀さん(七九)=沖縄県浦添市=は「終戦後、食料がなくて貧しくなるだろうと、引き揚げ前に部隊の人たちは海岸端の畑にイモを植えてくれた。大石隊長は本当に島民のことを思って、親切にしてくれた。今でも思い出すと胸が熱くなります」と涙を浮かべた。

 会の最後には、島からの引き揚げを前に、島民主催の送別会で歌ったという大石さん作詞の「武富島別れの歌」を参加者全員で合唱し、二年後の再会を誓い合った。大石さんは「うつぐみの心でみんなが集まり、こうして協力して会ができることはありがたい」と話していた。


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posted by 依光晃一郎 at 00:00 | 高知 | Comment(1) | TrackBack(0) | 史跡・土佐史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
突然のご連絡誠に失礼いたします。琉球大学大学院の修士2年の内間安朗という者です。
今回ご連絡させていただいたのは、私の研究に関係しております。私は現在「竹富島をめぐる戦前・戦中・戦後-古見節子への聞き取りを中心に-」と題して竹富島の戦中〜戦後史を研究しています。古見節子とは竹富島出身で私の祖母にあたる方です。彼女から聞き取りを行いながら、当時の状況を明らかにしていきたいと考えています。その聞き取り中で竹富島には大石隊という高知の部隊が駐留していること、さらに大石喬氏が強制疎開をやめさせたり、島民と積極的に交流することで友好的な関係を築いていたことを知りました。そこで、私はこうした事実を論文に書くにあたり、大石喬という人物やそれに同行した高知の兵隊についてさらに深く知りたいと思いご連絡させていただきました。
ブログなどを拝見させていただくと、田川孝雄様のご子息であられるとのことでした。もし、ご存命であればお話などをお聞きしたいと思っています。また、ご子息の方にもお話を聞ければと思っております。
初対面で顔もわからない中でこうしたお願いをするのも大変申し訳ないのですが、是非よろしくおねがしたいと思っております。また、現在活動中であれば、高知竹富会の方々への聞き取りも行いたいと考えています。もし依光様もご参加されているのであればお話を聞かせていただきたいと思います。
重ねて突然のご連絡大変申し訳ありませんでした。
それでは失礼いたします。
Posted by 内間安朗 at 2016年05月26日 12:45
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