2013.03.24 土佐高野球部 春の選抜へ
久しく、ブログを書く意欲をなくしていたのだけど、何だか感動してしまって、今日だけ復活。
次回出場の際の、自分への備忘録の意味も込めて。

前回の出場は、93年春の選抜。
自分は、当時中学生で、剣道少年であった。
当時の野球部は、かなり強くて、学校も期待で盛り上がっており、球場で野球を見たことがなかった依光少年も、春野での県大会などには、学校からの応援バスに乗って、応援に行っていた。
さて、めでたく甲子園出場となった際、隣の柔道部の同級生たちが応援団を組織することになって、自分も友人を通じてメンバーに内定をしていた・・・。
のだけど、まさかの剣道部顧問先生から、剣道部は練習の命が下り、泣く泣く辞退。
あれから20年。当時のリベンジの気持ちもあって、甲子園へ。
組み合わせ抽選で、3日目・日曜日の開催が決まったその日に、日帰りで飛行機を予約。
天候にも恵まれて、念願の試合観戦をすることができた♪

21世紀枠での出場と、相手の浦和学院は強豪校で、一方的なゲームも覚悟はしていた。
でも、しっかり守って、チャンスも何回も作った。
序盤から中盤戦。自分も含めた大丈夫かなという心配を振り払った。
そして最後には、アルプススタンドの気持ちを1つにし、堂々たる姿を見せつけてくれた。
(半信半疑だった自分に心から反省)
「全力疾走の土佐」という意味がこれまではよく分からなかったけど、自分の力を出し切って、相手を恐れず、堂々と戦うことなのだと教えてもらった。
試合後、涙をぬぐっていた先輩たちがいた。
自分も、何だかじーんとなってしまった。
本当に有意義な1日でした。ありがとう。
素晴らしいこのチームで、夏の県大会も勝ち抜いてもらいたい。
次回出場の際の、自分への備忘録の意味も込めて。

前回の出場は、93年春の選抜。
自分は、当時中学生で、剣道少年であった。
当時の野球部は、かなり強くて、学校も期待で盛り上がっており、球場で野球を見たことがなかった依光少年も、春野での県大会などには、学校からの応援バスに乗って、応援に行っていた。
さて、めでたく甲子園出場となった際、隣の柔道部の同級生たちが応援団を組織することになって、自分も友人を通じてメンバーに内定をしていた・・・。
のだけど、まさかの剣道部顧問先生から、剣道部は練習の命が下り、泣く泣く辞退。
あれから20年。当時のリベンジの気持ちもあって、甲子園へ。
組み合わせ抽選で、3日目・日曜日の開催が決まったその日に、日帰りで飛行機を予約。
天候にも恵まれて、念願の試合観戦をすることができた♪

21世紀枠での出場と、相手の浦和学院は強豪校で、一方的なゲームも覚悟はしていた。
でも、しっかり守って、チャンスも何回も作った。
序盤から中盤戦。自分も含めた大丈夫かなという心配を振り払った。
そして最後には、アルプススタンドの気持ちを1つにし、堂々たる姿を見せつけてくれた。
(半信半疑だった自分に心から反省)
「全力疾走の土佐」という意味がこれまではよく分からなかったけど、自分の力を出し切って、相手を恐れず、堂々と戦うことなのだと教えてもらった。
試合後、涙をぬぐっていた先輩たちがいた。
自分も、何だかじーんとなってしまった。
本当に有意義な1日でした。ありがとう。
素晴らしいこのチームで、夏の県大会も勝ち抜いてもらいたい。
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